· 

神に本音を語る サムエル記第一15章1~16節

【新改訳2017】

Ⅰサム

[ 15 ]

15:1 サムエルはサウルに言った。「【主】は私を遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、【主】の言われることを聞きなさい。

15:2 万軍の【主】はこう言われる。『わたしは、イスラエルがエジプトから上って来る途中で、アマレクがイスラエルに対して行ったことを覚えている。

15:3 今、行ってアマレクを討ち、そのすべてのものを聖絶しなさい。容赦してはならない。男も女も、幼子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺しなさい。』」

15:4 サウルは兵を呼び集めた。テライムで彼らを数えると、歩兵が二十万、ユダの兵が一万であった。

15:5 サウルはアマレクの町へ行って、谷で待ち伏せした。

15:6 サウルはケニ人たちに言った。「さあ、アマレク人のもとを離れて下って行きなさい。私があなたがたを彼らと一緒にするといけないから。あなたがたは、イスラエル人がみなエジプトから上って来たとき、親切にしてくれたのです。」ケニ人はアマレク人の中から離れた。

15:7 サウルは、ハビラからエジプトの国境にあるシュルに至るまで、アマレク人を討ち、

15:8 アマレク人の王アガグを生け捕りにし、その民のすべてを剣の刃で聖絶した。

15:9 サウルとその兵たちは、アガグと、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで、これらを聖絶しようとしなかった。ただ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのである。

15:10 【主】のことばがサムエルに臨んだ。

15:11 「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し【主】に向かって叫んだ。

15:12 翌朝、サムエルはサウルに会いに行こうとして早く起きた。すると、サムエルに、「サウルはカルメルに来て、もう自分のために記念碑を立てました。そして向きを変えて進んで行き、ギルガルに下りました」という知らせがあった。

15:13 サムエルはサウルのところに来た。サウルは彼に言った。「あなたが【主】に祝福されますように。私は【主】のことばを守りました。」

15:14 サムエルは言った。「では、私の耳に入るこの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」

15:15 サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。兵たちは、あなたの神、【主】に、いけにえを献げるために、羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。しかし、残りの物は聖絶しました。」

15:16 サムエルはサウルに言った。「やめなさい。昨夜、【主】が私に言われたことをあなたに知らせます。」サウルは彼に言った。「お話しください。」

 今日はまず、「聖絶」(1~3)についてお話します。神はサウル王にアマレク人の聖絶を命じました。アマレク人はイスラエルの南に住み、出エジプト記の時代からイスラエルと敵対関係にありました。聖絶とは、神が罪深い民族を神の聖さ故に滅ぼすことです。ですから、聖絶の時には神は非常に力強く働かれます(例:エリコの聖絶)。但し現代のキリスト者が聖絶に関与することはありません。なぜなら、私たちはイエス様の十字架以後を生きているからです(エペソ2:16)。私たちには、敵を滅ぼすよりゆるす、憎むより愛す生き方が求められているのです。

 さて、サウル王はアマレク人を討ち取った後、彼らの所有物の一部を聖絶しませんでした(9)。先週の「みことばの光」には、サウルの罪が記されていました(Ⅰ歴10:13~14)が、サウルは、神様の信頼を裏切った不信仰の罪のために王座を失いました。私たちもまた、人生において神様との信頼関係を築けるかどうかは非常に大切ではないでしょうか。

 そこで、神様との信頼関係を築く、信仰を培う祈りを二つ紹介したいと思います。

第一は、「御心を尋ねる祈り」です。サムエル(11)は、神様の慰めや怒りのメッセージを人々に伝える人(預言者)で、神様の御心と一致した思いを持っていました。しかし、サウル(12)は神様の御心からずれた人でした。神様とサムエルが怒り、悲しんでいる時に、サウルは自分のために記念碑を建て、喜び勝ち誇っていたのです。私たちもサウルと同じようなことになりかねません。私たちは神様の御心は何か、ということに心を向けていかなければならないと思います。「御心を尋ねる祈り」の模範者はイエス様です。イエス様のゲッセマネの祈りを見てみましょう(マタイ26:39)。イエス様は、自分の正直な気持ちを告白、最後に御心がなりますようにと祈られました。このように「御心を尋ねる祈り」とは、自分の正直な思いと神様の御心とを行ったり来たりする、葛藤のある祈りのことです。イエス様はゲッセマネで血の汗を流しながら祈られましたが、祈りの後何も迷うことなく十字架に向かって行かれました。また、ハンナは子どもが与えられなかった悲しみと憎しみを神様に祈る中で、最後に平安が与えられました。「御心を尋ねる祈り」の先にある平安は、祈った人にしかわからないものです。私たちにはそれぞれ苦難や問題があるでしょう。それを神様の御前に出すことによって、神様との信頼関係が培われていきます。

 第二は、「悔い改めの祈り」です。サムエルに罪を問い詰められたサウルは嘘をつき、言い訳をしました(13~15)。悔い改めとは、「神に向く」という意味があります。神に背を向けて自己中心に生きて来た者が神の方を向いて、神中心の生き方に戻るのが悔い改めです。人間はそう簡単には変わらないものです。先月の聖餐式で悔い改めたことを今月も悔い改めている、私は何度もそれを経験しています。しかし神様は、忍耐強く私たちを愛して下さっています。勇気を持って言い訳をせず、自分の罪に向き合い続けて下さい。聖霊が少しずつ私たちに働きかけ、徐々に変化を与えて下さいます。

 天の父なる神様、みことばをありがとうございます。私たち一人一人を愛し、その祈りを待って下さっていることをありがとうございます。どうか、あなたへの祈りとみことばを通して、今週もあなたと親しい関係を持つことができますように、助けて下さい。願い事を言えばそれをかなえてくれる、自分がコントロールできるような都合の良い神様、それは何と小さな神様でしょうか。しかし世界の多くの人が、それを求めています。私たちはこの世界を創造し、私たちの考えが及ばないところまで計画を立て、私たちの罪のために死なれた偉大な神様との信頼関係を大切にします。どうぞ、この地域の人たちが、日本に住む人々がこの神様を知ることができますように。(2021年5月16日礼拝 武田遣嗣牧師)