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物より愛を望む神 サムエル記第一15章17~26節

【新改訳2017】

Ⅰサム

15:17 サムエルは言った。「あなたは、自分の目には小さい者であっても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。【主】があなたに油を注ぎ、イスラエルの王とされたのです。

15:18 【主】はあなたに使命を与えて言われました。『行って、罪人アマレク人を聖絶せよ。彼らを絶滅させるまで戦え。』

15:19 なぜ、あなたは【主】の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、【主】の目に悪であることを行ったのですか。」

15:20 サウルはサムエルに答えた。「私は、【主】の御声に聞き従い、【主】が私に授けられた使命の道を進みました。私はアマレク人の王アガグを連れて来て、アマレク人たちは聖絶しました。

15:21 兵たちは、ギルガルであなたの神、【主】にいけにえを献げるために、聖絶の物の中の最上のものとして、分捕り物の中から羊と牛を取ったのです。」

15:22 サムエルは言った。「【主】は、全焼のささげ物やいけにえを、【主】の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

15:23 従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが【主】のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」

15:24 サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。兵たちを恐れて、彼らの声に聞き従い、【主】の命令と、あなたのことばに背いたからです。

15:25 どうか今、私の罪を見逃してください。そして、私が【主】を礼拝することができるように、一緒に帰ってください。」

15:26 サムエルはサウルに言った。「私はあなたと一緒に帰りません。あなたは【主】のことばを退け、【主】があなたをイスラエルの王位から退けられたからです。」

 すべての人には、神様から与えられた使命があります。例えば、サウル王にはイスラエルの王として国を治める使命がありました。私たちには、神様から与えられている使命を達成するために、一体何が必要なのでしょうか。

 第一に、神の力を信じることです(17)。サムエルの指摘(サウルが自分を小さく見ている)は的を得ていました(9:21)。サウルは、王になる前から自己肯定感の低い人でした。だから、いつも自分を大きく見せることに固執していました(13:9~12、14:24)。そしてこれが神の使命を果たせなくしていました。サウルに必要なことは、自分の上にいる偉大な神様を信じることでした。人生の使命を果たすためには、自己をPRするのではなく、偉大な神様がおられて私たちを導いておられることをまず認める必要があります(ピリピ4:12~13)。

 第二に、神との関係を深めていくことです。みことばを聞き、神様がどんなお方なのか、何をして下さるのかを良く知り、神様との愛の関係を深めていくことが私たちに必要不可欠なステップです(22)。神様は献金や奉仕より、私たちがまず神様のみことばを聞くことを求めておられます。みことばが、私たちと神様との関係を深めていくからです。ある本にこんなことが書かれていました。昔、あるところに真面目なニンジン農家がいました。その年は特に形の良いニンジンができたので、彼は王様にそれを持って行きました。王様は彼の心意気に大喜びし、丁度隣にあった自分の土地を彼に提供し、野菜をもっと作るように言いました。さて、話の一部始終を聞いていたある貴族は最上級の馬を王様に届けました。しかし王様はすぐに貴族の本心を見抜き、馬だけ受け取ると貴族を去らせようとしました。当てがはずれてポカンとしている貴族に、王様は「あの農家は私のためにと思ってニンジンを差し出した。しかしお前は、お前自身のために馬を差し出したのだ」と言ったのです。王様が神様だとするなら、馬は神様への愛のないささげ物だと思いませんか。悪い言い方をするなら、神様をコントロールするためのささげ物です。ダビデは神様に頼まれたわけではないのに、積極的に神殿を建てようとしました(Ⅰ歴17)。そして神様もダビデを祝福されました。神様はみことばと祈りを通して、私たちにこのような愛の関係を望んでおられます。私たちは、神様との関係を深める時間を持っているでしょうか。

 第三に、悔い改めつつ進むことです(24~25)。言い訳ばかりしてきたサウルが、ここで初めて自分の罪を認めました。しかし悔い改めるのではなく、見逃してほしいと懇願しました。罪がなかったことにする、これは神様にはできないことです。なぜなら、神様は正義の神様だからです。と同時に、神様は愛の神様です。イエス様は、私たち一人一人の罪を帳消しにはできませんが、自分が十字架にかかって死ぬことにより、罪の責任をとって下さいました。ですから私たちは、罪を告白したら神様に滅ぼされるのではなく、恐れず自分の罪と向き合うことができます。どんな罪であっても、イエス様の十字架によってゆるされるからです。神様の前に告白し、軌道修正して、与えられた使命の道に進んでいくことができる、これが聖書の教えです。私たちは悔い改めつつ、使命の道を歩みたいと思います。

 天の父なる神様、私たちはこの世界に偶然、存在しているのではありません。創造主なる神が、私たち一人一人を目的のある者として生かして下さっています。まずそのことをありがとうございます。そして、私たち一人一人に使命を与え、私たちを助けて下さるという約束もありがとうございます。あなたのために私たち一人一人ができることは何でしょうか。どうか教えて下さい。そして、神様に望まれていることに人生を捧げていくことができますように助けて下さい。今週もあなたが一人一人を支えて下さい。(2021年5月23日礼拝 武田遣嗣牧師)