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そこで主の御名を 創世記13章1~9節

【新改訳改訂第3版】

 13:1 それで、アブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべての所有物と、ロトもいっしょであった。

 13:2 アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。

 13:3 彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。

 13:4 そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、【主】の御名によって祈った。

 13:5 アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。

 13:6 その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。

 13:7 そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。

 13:8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。

 13:9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」

 

 神様の約束(12:1)に従い、アブラム(アブラハム)はハランからカナンに行きました。そしてカナンで祭壇を築き(8)、さらにネゲブへ移動しました。ネゲブでは飢饉が起きたことは記されていますが、アブラムが祭壇を築いた(礼拝を行った)ことは記されていません。聖書を読んでいくと、彼の神様との関係が危うくなっていることが感じられます。神に祈ることをせず、物質的に豊富なエジプトへ向かったアブラムは、妻のサライが美しいので、自分が夫であることを隠しました。神ではなく、人を恐れたのです。しかし神様の介入があって、アブラムたちはエジプトから追い出されました(12章)。

 彼はネゲブからさらに旅を続け、ベテルとアイの間にある、最初に天幕を張った場所まで戻りました。それはその地が以前、祭壇を築いた場所、礼拝をささげた場所だったからです。つまり、彼は信仰の原点に戻ったのです(3~4)。神から離れ、エジプトでは自分の知恵、策略に走ったアブラムでしたが、その思いが砕かれて神様の憐れみによって戻ることがゆるされ、アブラムと神様との関係は再びしっかりと繋がれました。

 ここで「繋がること」で思い出すのは葡萄の木のたとえです(ヨハネ15:5)。葡萄の幹に枝がしっかり結びついているなら、多くの実がなっていきます(ガラテヤ5:22~23)。アブラムの心にも、再びその実がなっていきました。

 再び創世期に戻りましょう。甥のロトはアブラムと共にいたので、多くの財産を手にしました(5)。しかし、人間は目に見える財産が増えてくると危険です。神様より財産が心の中心になって、高慢さが頭をもたげてくるのです。現在あるロトはアブラムのおかげなのですがそれを忘れ、ロトは自分の力で富を築き上げてきたように思ってしまいました。その結果、牧者たちに争いが生じました(7)。アブラムは牧者たちの争いが発展する危険を察知、争いがないようにしようと声をかけ、ロトに土地を選ぶ優先権を与えました(8~9)。本来ならロトが譲らなくてはならないのですが、アブラムは自分の権利を捨てたのです。ここに御霊の実を見ることができます。アブラムはいずれ崩れていく地上の宝ではなく、神様に繋がって得られる宝、永遠の都を待ち望んでいたのではないでしょうか。その都の設計者は神です(ヘブル11:9~10)。

 アブラムの旅は、私たちの人生そのものです。私たちはこの世にあって旅人であり、寄留者です。また、神の御心を求めることをせず、自分の思いや考えに走ってしまうものです。ですからアブラムのように、信仰の原点に立つことが大事です。神様と繋がっていれば、たとえ問題があっても平安があります。そしてアブラムたちはカナンの地そのものより、後に来る確かな都に目を向けていました。イエス様を信じる者の国籍は天にあります。多くの人は何のために生きているかわからないでいます。人間が神様によってつくられたということがわかっていないからです。私たちは神様によってつくられた器です。だから尊いのです(イザヤ43:4)。神様の栄光を現わすことが、私たちの人生の目的です。イエス様の十字架と復活を信じる信仰によって私たちは罪がゆるされ、永遠のいのちが与えられます。そして天国行きの切符をいただけます。行先が明確です。ですから、私たちは主の御名を呼び、神様としっかり繋がって歩んでまいりましょう。

 「そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った(3:4)」。

天の父なる神様、主の御名を賛美いたします。アブラムのこの世の旅を聖書から聞くことができ、感謝いたします。アブラムは間違いを犯しましたが、悔い改め、信仰の原点に戻りました。信仰の回復がなされ、再び神様と繋がる歩みを始めました。私たちも神のことばである聖書のみことばを自分への語りかけとして、毎日の生活の中で応答していけるように、どうか導いて下さい。私たちが神様としっかり繋がって、この世の旅路を歩んでいけますように導いて下さい。那珂湊教会のお一人一人に、主の豊かな祝福がありますように、そして神様の栄光を現わす器として用いられていきますように導いて下さい。(2021年5月30日礼拝 鹿島福音キリスト教会長澤和裕牧師) 

 

☆ 本日の礼拝式は、水戸地方講壇交換として、鹿島キリスト福音教会の長澤和裕牧師にメッセージを取り次いでいただきました。