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憎しみから平和へ サムエル記第一19章1~10節

【新改訳2017】

Ⅰサム

[ 19 ]

19:1 サウルは、ダビデを殺すと、息子ヨナタンやすべての家来に告げた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。

19:2 ヨナタンはダビデに告げた。「父サウルは、あなたを殺そうとしています。明日の朝は注意してください。隠れ場にとどまり、身を隠していてください。

19:3 私はあなたのいる野に出て行って、父のそばに立ち、あなたのことを父に話します。何か分かったら、あなたに知らせます。」

19:4 ヨナタンはダビデを弁護し、父サウルに言った。「王よ、しもべダビデのことで罪を犯さないでください。彼はあなたに対して罪を犯してはいません。むしろ、彼のしたことは、あなたにとって大きな益となっています。

19:5 彼が自分のいのちをかけてペリシテ人を討ったので、【主】は大きな勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て喜ばれました。なぜ、何の理由もなくダビデを殺し、咎のない者の血を流して、罪ある者となられるのですか。」

19:6 サウルはヨナタンの言うことを聞き入れた。サウルは誓った。「【主】は生きておられる。あれは殺されることはない。」

19:7 ヨナタンはダビデを呼んで、このことすべてを告げた。ヨナタンがダビデをサウルのところに連れて来たので、ダビデは以前のようにサウルに仕えることになった。

19:8 再び戦いが起こった。ダビデは出て行って、ペリシテ人と戦い、彼らを討って大損害を与えた。彼らはダビデの前から逃げた。

19:9 わざわいをもたらす、【主】の霊がサウルに臨んだ。サウルは自分の家で座っていて、手には槍を持っていた。ダビデは竪琴を手にして弾いていた。

19:10 サウルは槍でダビデを壁に突き刺そうとした。ダビデがサウルから身を避けたので、サウルは槍を壁に打ちつけた。ダビデは逃げ、その夜は難を逃れた。

 

[ 59 ]

<59> 指揮者のために。「滅ぼすな」の調べで。ダビデによる。ミクタム。ダビデを殺そうとサウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに。

 

59:1 私の神よ私を敵から救い出してください。向かい立つ者たちよりも高く私を引き上げてください。

59:2 不法を行う者どもから私を救い出してください。人の血を流す者どもから私を救ってください。

59:3 今しも彼らは私のたましいを待ち伏せし力ある者どもは私に襲いかかろうとしています。【主】よそれは私の背きのゆえでもなく私の罪のゆえでもありません。

59:4 私には咎がないのに彼らは走り身構えています。どうか目を覚ましここに来て見てください。

59:5 あなたは万軍の神【主】イスラエルの神。どうか目を覚ましすべての国を罰してください。邪悪な裏切り者をだれもあわれまないでください。セラ

59:6 彼らは夕べに帰って来ては犬のようにほえ町をうろつき回ります。

59:7 ご覧ください。彼らの唇には多くの剣がありその口で放言しているのです。「だれが聞くものか」と。

59:8 しかし【主】よあなたは彼らを笑いすべての国々を嘲られます。

59:9 私の力よ私はあなたを見続けます。神が私の砦だからです。

59:10 私の恵みの神は私を迎えに来てくださる。神は私に敵を平然と眺めるようにしてくださる。

59:11 彼らを殺してしまわないでください。私の民が忘れることのないように。御力によって彼らをさまよわせてください。彼らを打ち倒してください。主よ私たちの盾よ。

59:12 彼らの口の罪は彼らの唇のことば。彼らは高慢にとらえられるがよい。彼らが語る呪いとへつらいのゆえに。

59:13 憤りをもって滅ぼし尽くしてください。滅ぼし尽くしてください。彼らがいなくなるまで。神が地の果てまでもヤコブを治められることを彼らが知るようにしてください。セラ

59:14 彼らは夕べに帰って来ては犬のようにほえ町をうろつき回ります。

59:15 食を求めてさまよい歩き満ち足りなければ夜を明かします。

59:16 しかしこの私はあなたの力を歌います。朝明けにはあなたの恵みを喜び歌います。私の苦しみの日にあなたが私の砦また私の逃れ場であられたからです。

59:17 私の力よ私はあなたにほめ歌を歌います。神は私の砦私の恵みの神であるからです。

 今日はヨナタン、ダビデ、サウルの3人に焦点を当てて、憎しみの克服について共に学びたいと思います。

 サウルがダビデを殺そうとした原因は、憎しみです。ダビデが戦果をあげる度に、サウルの憎しみは深くなっていきました(1830191)。しかしヨナタンは、父サウルも親友ダビデも愛していました。この説教ではまず、憎しみから平和へ導くヨナタンから学びましょう。ヨナタンは二人の仲を取り持とうと、作戦を開始しました(25)。ヨナタンの父への説得は論理的です。最初に一番言いたいことを述べ(ダビデのことで、罪を犯さないで下さい)、その理由を二つ述べます。一つは、サウルにとってダビデは大きな益になっていること、もう一つは、ダビデはイスラエル全体に勝利をもたらしてくれたことです。更に最後に最も主張したいことを再度述べています。ヨナタンは感情に訴えるだけではなく、前もって計画を立てて、サウルとダビデの間にある憎しみを取り除こうとしていたことがわかります。サウルはヨナタンの説得によって、もうダビデを殺さないと誓いました。平和をつくろうとするヨナタンから、私たちは多くのことを学ぶことができます。彼はサウルかダビデか、どちらかに味方してもよかったかもしれません。しかし、最後までフェアの立ち位置を保ちました。そして両者が和解できるよう、ち密な作戦を立てました。私たちもヨナタンに倣って、教会や職場、家庭などで平和をつくる者になっていきたいと思います。

 さて、ヨナタンにダビデを殺さないと誓ったサウルですが、ダビデが再び戦果をあげると、誓いを翻してしまいました(811)。「槍」はサウルを象徴しています。彼は武器によってダビデを何度も殺そうとしました。それに対し、「竪琴」はダビデを象徴しています。彼はサウルを憎むどころか、サウルの回心を最後まで願い続けました。10節には「身を避ける、逃げ、難を逃れた」ということばが出てきますが、これはこの物語がダビデの逃走劇に移行するからです。ダビデは外国に逃亡しますが、サウルは執拗に彼を追いました。考えてみると、ダビデがサウルを憎んでもおかしくないと思います。逃走中、サウルを殺すチャンスがあったのに、ダビデは最後までサウルを殺そうとしませんでした。彼は憎しみに支配されなかったのです。

 詩篇59篇を見てみましょう。この詩篇は、Iサムエル記19章以降のダビデの思いや、神様への賛美が書かれています。ダビデが憎しみに屈しなかった一つの理由は、神の救いを信じていたからです。5節では、自分の命を狙う者たちのことを「邪悪な裏切り者」と呼んでいます。これが人間の現実だと思います。しかしダビデは、いつか正義の神様が正しく人を裁くということを知っていました。つまり、罪を犯す者に制裁を加えるのは神だと考えていたのです。私たちもダビデに倣って、今自分の心にある憎しみを神様に委ねていきたいと思います。

 最後に、憎しみに支配されてしまったサウルに、目を向けたいと思います。憎しみがサウルにもたらした悲惨を見て、私たちは憎しみと戦っていくことを、心に決めたいと思います。ダビデの妻ミカルはサウルの娘ですが、彼女はダビデを逃がしました。それに対し、サウルはミカルに怒りを向けました(17)。サウルはまるで被害者のようです。サウルから狂気すら感じます。憎しみがどれほど私たちの人生を破壊するのかを教えられます。

 サウルの神様は名誉でした。自分の名誉を高めることが彼にとっての救いでした。それは彼を憎しみから救い出すことはできませんでした。一方、ダビデの神様は真の神様です。彼はこの神様の救いと正義を信じていました。だからサウルにやり返すことなく、憎しみに吞み込まれませんでした。聖書の神は憎しみを始め、あらゆる罪に勝利を与えて下さる神様です。この礼拝を以って、改めて真の神様を自分の神様にしましょう。また、ヨナタンが平和をつくる者であったように、私たちも職場や家庭で平和を生む言葉や行いを心がけましょう。

 

 天の父なる神様、御名を崇め賛美いたします。私たちが言葉や行いにおいて憎しみを生んでいるのか、それとも平和を生んでいるのか考えさせられています。どうぞ、あなたとの関係性を大切にしながら、あなたから愛をいただきながら、私たちが平和をつくり出す者として歩んでいけますように、今週一週間をお守りください。(202181日礼拝 武田遣嗣牧師)