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新しい命を歩む ローマ人への手紙6章1~4節

【新改訳2017】

ロマ

[ 6 ]

6:1 それでは、どのように言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪にとどまるべきでしょうか。

6:2 決してそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうしてなおも罪のうちに生きていられるでしょうか。

6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。

6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。

 アダムとエバがサタンの誘惑によって堕落し、エデンの園から出だされて以来、人間は罪人として神様との交わりを絶たれてしまいました(イザヤ5912)。しかし、神様の独り子であるイエス・キリストが罪の身代わりとなって十字架にかかり、その流された血によって人間には神様と和解する、信仰によって救われるという道が開かれました(エペソ289)。

さて、パウロは今日の箇所で、みことば(520)の誤解に対し疑問を投げかけ、それに答えています(1)。クリスチャンはもはや罪の支配下にはなく、恵みの支配に入れられました(コロサイ113)。私たちクリスチャンは、神様の救いのみわざによって、罪と死の支配から救い出され、永遠のいのちが約束されています。これが恵みの中におかれているということです(Ⅰヨハネ518)。イエス様を信じて新しく生まれ変わったクリスチャンは、罪の中にとどまり続けることはできません。サタンはみことばに聞き従い、祈るクリスチャンを嫌います。そして主を賛美し、主に奉仕し、主を愛して平和をつくり出すクリスチャンには手を出すことができません。この手紙は、ローマにある教会あてに書かれました。ローマの教会の信者の中には、クリスチャンになっても昔と変わらない、気ままな生活を続けている人々がいました。罪にとどまるとは、連続的な行いを表しています。つまり、習慣的に罪を犯す生活を続けているのです。「とどまる」(1)とは、なおそのまま滞在する、長居するという意味です。パウロは、キリストに救われた者が罪という国に長居していいのかと警告し、否定しました(2)。私たちは罪の国と断絶したのですから、罪の国の生活習慣を捨てなければなりません。今度は神の国の民として、新しい歩みを始めなければなりません。

しかし私たちは、どうしても「広い門」から入りたいと思うものです。「狭い門から入りなさい」の理由として、イエス様は「滅びに通じる門は広いからだ」と言われました(マタイ71314)。私たちは、多数決が価値判断の基準になる場合が多いと思います。しかし、真理は必ずしも多数ではありません。真理はいつの時代でも、誰にとっても、正しい真理でなければなりません。例えば十分の一も、イエス様はおろそかにしてはいけないと言われました。実際、十分の一をささげることは大変ですが、神様は必ず祝福すると約束しておられますから、それは私たちの信仰が試されるということです。悪魔はいつも美しく立派な道を用意します。広い道ほど歩きやすいものです。それに対し、いのちに至る門は狭く、その道は細く、それを見出す者は少ないとイエス様は言われました。この比喩は、二つのものが対照的に表されています。滅びに至る道と、いのちに至る道です。そしてイエス様は、滅びに至る道については「見出す」とは言っておられません。それは、生まれながらにして歩いている道だからです。

イエス様が言われた狭い道は、悔い改めの道です。大きな門、広い道とは、神を信じなくてもやっていけると思う道です。多くの人は、この道を好んで歩きます。しかし狭い門、細い道は悔い改めへの招きです。神様の前で自分の罪を示され、キリスト以外に自分の救われる道がないことを認めて、心を低くされる道です。これはこの世の人たちにとっては、どんなに大きな躓きとなるでしょうか。自分を喜ばせながら、この道に入っていくことはできません。富も名誉も欲望も、持って入ることはできません。ですから、イエス様を信じて天国の国民とされた人は、古い人を脱ぎ捨てて、初めて狭い門から入っていくことができるのです。また、天国の国民の生活は決して安易なものではありません。私たちは絶えず、悔い改めていく必要があります。

 

天におられる私たちの神様、あなたの御名をほめたたえます。本当に主が来られる時は、間近に迫っていると思います。そのための備えをし、いつも主の前にへりくだって歩むことができるように、また毎日罪の悔い改めをすることができるように、私たちを導いて下さい。そしてイエス様が十字架で流された血潮によって、私たちを絶えずきよめて下さるように心からお願いいたします。また牧師先生、兄弟姉妹、教会の働きのために、主の御名によって毎日祈ることができるように導いて下さい。(2021822日 元小川教会牧師 尾崎祐司師)

 

☆ 本日の礼拝式は元小川教会牧師の尾崎祐司師の説教でした。武田牧師は、笠間福音キリスト教会で説教奉仕にあたりました。