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黙想の勧め 詩篇1篇1~3節

【新改訳2017】

1:1 幸いなことよ悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。

1:2 【主】のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。

1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。

 黙想とは自分の言葉ではなく、神様のみことばを思い巡らし、口ずさんで味わうことです。今日は黙想の恵みについて語ることに集中したいと思います。そして、どのようにみことばの黙想をするのかにも触れたいと思います。詩篇1篇には、幸せな人とはどんな人なのかが書かれています。1節を見ると、悪しき者のはかりごとに歩まない人、罪人の道に立たない人、嘲る者の座に着かない人と、否定的な言い方が続いています。詩篇はまず、これをしないことが幸せの道だと教えています。しかし2節には、積極的にすることで幸せになれることが書かれています。それがみことばの黙想です。多くの「流れ」(複数形)の中に、植えられた木(単数形)とは私たちのことです。本来なら人生の荒野で枯れてしまうような木が、潤った場所に植えられて決して枯れない木になるとあるように、聖書はみことばの黙想が幸せの道であることを非常にストレートに語っているのです。

 次に、黙想に必要なことを三つお話しします。第一は愛誦の聖句を見つけることです。「口ずさむ」(2)ということばは、ライオンが捕らえた獲物の上に乗って満足そうに唸る唸りから生まれたとされています。私たちも心に残ったみことばを見つけた時、それを忘れず日々口ずさんで愛誦していくことが、黙想の第一歩になります。日本基督教団の加藤恒明牧師は、プロテスタントで黙想を教えた第一人者ですが、黙想の始まりはやはり愛誦聖句を見つけることだと言っていました。黙想に慣れていない人が、いきなりレビ記やハガイ書のようなものから黙想する必要はありません。自分の心に素直に響くみことばを見つけ、それを思い巡らしましょう。時はいつでもいいです。するとそれが心に深く根づいていきます。

 第二は、勇気をもって時間をとることです。アメリカの牧師、ティモシー・ケラーは大学生の時、聖書的なリーダーシップを学ぶセミナーに参加したそうです。セミナーの講師

はマルコ117を開き、参加者全員にこの箇所を30分間思い巡らしなさいと言いました。ケラーは、自分はセミナーに学びに来たのに、なぜこんな課題をしなければならないのかと思いました。しかし講師は参加者を励ましながら30分間黙想をさせました。そして最後に講師が参加者に、最も深い気づきが与えられた時間を聞くと、25分以降と答える人が最も多かったそうです。つまり、時間をかければかけるほど、一つのみことばから教えられることがあったということです。この経験は、ケラーにとって牧師になってからもとても重要になりました。私たちもみことばの黙想に時間を取り分けるなら、神様から深い気づきが与えられるはずです。

 第三は、ひたすらに聞くことです。詩篇1篇の幸せな人とは、徹底的にみことばに聞く人です。主の教えを口ずさむという行為は、一度聞いた神様からのみことばを無下にせず、口ずさんで思い巡らし続けることです。つまり、彼は徹底的に聞いているわけです。

最近学んだことですが、神のみことばを聞ける人は神に祈ることができる人だということです。私は時に、祈りに疲れることがあります。しかし私に祈りが返ってくるきっかけは、神様のみことばを素直に聞けた時です。みことばを聞くと祈りが生まれ、奉仕の活力が生まれ、信仰生活の喜びが湧いてきます。まず私たちは素直に、ひたすらに聞くことから信仰生活を始めたいと思います。

 

 恵み深い天の父なる神様、みことばの中で、主の教えを昼も夜も口ずさむ人が幸せな人だと教えられています。それは機械的に口ずさむのではなく、みことばに感動してそれを口ずさんでいくことです。どうぞ、私たち一人一人がみことばを口ずさみ、そしてそのための時間をとり、あなたのみことばにひたすらに聞く歩みをしていけますように。わたしたちにそれを決断する信仰と、勇気をお与えください。(2021117日礼拝 武田遣嗣牧師)