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闇を隠れ家とする神 サムエル記第一21章10~15節

【新改訳2017】

Ⅰサム

21:10 ダビデはその日、ただちにサウルから逃れ、ガテの王アキシュのところに来た。

21:11 アキシュの家来たちはアキシュに言った。「この人は、かの地の王ダビデではありませんか。皆が踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」

21:12 ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。

21:13 ダビデは彼らの前でおかしくなったかのようにふるまい、捕らえられて気が変になったふりをした。彼は門の扉に傷をつけたり、ひげによだれを垂らしたりした。

21:14 アキシュは家来たちに言った。「おい、おまえたちも見ているように、この男は気がふれている。なぜ、私のところに連れて来たのか。

21:15 私のところに気がふれた者が不足しているとでもいうのか。私の前で気がふれているのを見せるために、この男を連れて来るとは。この男を私の家に入れようとでもいうのか。」

 ダビデは自分の国の王、サウルに命を狙われていました。実力と人気を兼ね備えたダビデに嫉妬したサウルは、ダビデを地の果てまで追いかけて殺そうとします。遂にダビデは国外逃亡することになりました。そしてはじめに向かった町が当時イスラエルの最大の敵だったペリシテ人の町、ガテでした。なぜダビデはこのような所に逃げたのでしょうか。恐らく、ダビデはイスラエルの軍事情報をペリシテ人に流すことで、自分の味方になってもらおうと考えたのだと思います。ダビデはガテの王、アキシュの前に立ちました。するとここでダビデに恐怖が芽生えたのです。きっかけは、アキシュの家来が「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」の歌について王に話し始めたことでした。この歌はダビデがペリシテ人ゴリヤテを倒した直後に作られ、流行歌になったほどですが、ペリシテ人にとっては屈辱の歌でした。ペリシテ人のチャンピオン、ゴリアテがダビデに倒された時の歌だからです。しかも今ダビデがいるガテは、ゴリアテの故郷なのです。ダビデを憎んでいる人がいるかもしれません。「このことば」(12)とは、アキシュ王の家来の言葉です。アキシュ王は別に怒っているわけではないのですが、ダビデは、王は自分を憎んでいる、自分を殺すに違いないと未来への恐怖に支配されてしまいました。大男ゴリアテの前でも神様を信じ恐れなかったダビデが、なぜこんなに恐れているのでしょうか。一つの理由として孤独が考えられます。22:1,2を見ると、ダビデのもとに400人の仲間が集まって来るのですが、今日の個所ではダビデ一人です。家族や信頼できる人からも離れ、ガテには神様を信じる人もいない、ダビデは孤独によって神を見失い、恐ろしくなったのではないでしょうか。ダビデのガテでの孤独は、日本で神様を信じるクリスチャンが感じる孤独と似ているかもしれません。

 ダビデは自分の命を守るために、気がふれた人のふりをし、ガテの町から追い出されました。しかしアキシュ王を恐れた経験は、逃亡生活の中で神を怖れ、敬い続ける姿勢につながっていきます。27章で王と再会する時、ダビデは彼を全く恐れず、厚かましいほどの態度をとります。しかしこういうことができたのは、今日の個所の経験があったからだと思います。今日の個所は人間的な目で見れば空しい出来事ですが、神の視点では必要だったと言えるでしょう。

 最後に、孤独と恐れに立ち向かう時、心に留めるべき二つのことをお話します。私たちが恐れている時、神様は明日を守られることに心を留めましょう。ダビデのように、未来を恐れて取り乱すことが私たちにもあるかもしれません。国内外の著名人が今を生きろと語っていますが、イエス様こそ最も説得力を持って私たちに今を生きろと語ることができる方だと思います。イエス様の救いを受け取ってイエス様のこどもになることは、神様がきっと明日を良いようにして下さると信じて生きる生き方です。またイエス様を信じることは、私たちの心の重荷になっている過去の罪がゆるされることです。私たちは過去の罪、未来の不安をイエス様によって取り除かれて、今を生きることができるのです(マタイ6:33,34)。

 また、私たちが孤独の中にいる時、神様は闇の中でも共におられることを信じましょう。神様は、私たちを敢えて孤独の中に置くことがあります。それは私たちが深く神様について体験するチャンスかもしれません。(詩18:11、ヨハネ1:15)。

 

 天の父なる神様、今日はダビデのガテの苦難の個所を読みました。ダビデにとって、この苦難は空しく、人生の汚点のように思えたかもしれません。しかしこれはダビデに必要でした。私たちも人生を振り返る中であの期間は必要なかった、もしあの時あんなことがなければと思ってしまうことがありますが、すべては神様の御手の中で起こっていることを今日、認めます。主よ、どうぞ私たちが孤独や恐れの中でも神様を見失うことがないように、むしろその中で神様を見出すことができますように、闇の中で、混沌とした時代の中で生まれて下さったイエス様が私たちの主ですから、私たちがイエス様を信じてこれからの人生を歩むことができるように助けて下さい。(20211128日礼拝 武田遣嗣牧師)