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必要を満たす神 サムエル記第一22章1~5節

【新改訳2017】

Ⅰサム

[ 22 ]

22:1 ダビデはそこを去って、アドラムの洞穴に避難した。彼の兄弟たちや父の家の者はみな、これを聞いてダビデのところに下って来た。

22:2 そして、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。約四百人の者が彼とともにいるようになった。

22:3 ダビデはそこからモアブのミツパに行き、モアブの王に言った。「神が私にどのようなことをされるか分かるまで、どうか、父と母をあなたがたと一緒に住まわせてください。」

22:4 ダビデは両親をモアブの王の前に連れて来た。彼らは、ダビデが要害にいる間、王のもとに住んだ。

22:5 預言者ガドはダビデに言った。「この要害にとどまっていないで、さあ、ユダの地に帰りなさい。」それで、ダビデはそこを出て、ハレテの森へやって来た。

 ダビデの故郷ベツレヘムはアドラムの洞穴に近く、親族と合流することができました。そして親族だけでなく、多くの人がアドラムの洞穴に集まってきました。彼らは王の政治に不満があったり、イスラエルの革命を望んでいる者たちでした。400人(2)の中には、特に三勇士と呼ばれるダビデに従順な豪傑がいました(Ⅰ歴111519)。ガテで一人、奇人のふりをした時には考えられないような祝福がダビデに与えられていき、神様はダビデの必要を更に満たしていかれました(3)400という人数は、一国の軍事力に比べればとても少ないです。アドラムの洞穴にダビデが留まり続ければ、ギブアからサウルの追手が来てたちまち包囲され、殺されてしまいます。ダビデはモアブに行くしかありませんでした。しかしモアブの王は、ダビデを温かく迎えてくれました。それは第一に、モアブがサウル王の率いるイスラエルと敵対していたからであり、第二に、ダビデがモアブ人と血縁関係にあったからでした。ダビデの曾祖母はモアブ人のルツだったのです。この血縁関係があったからこそ、ダビデはモアブの王に自分の両親をあずけることができました。ダビデは両親をモアブの王に任せ、自分はモアブで400人の仲間を鍛え、組織することができたと思います。ですから、ダビデにあらゆる面で必要が与えられたと言えるでしょう。今日私たちは、私たちの必要を与えて下さる神様のことを覚えましょう。他人と比べて、自分は何も持っていないと悲しんでいる方がおられるかもしれません。でも神様は私たちを愛しておられ、必要なもの全てを与えて下さいます。「主の祈り」にある「日毎の糧」について、宗教改革者のルターは次のように説明しました。

 日毎の糧とは、食物と飲み物、着物と屋敷、畑と家畜、財産、信仰深い夫婦、子どもと召使、信仰深く信頼できる支配者、良い政府、良い気候、平和、健康、教育、名誉、また良い友達、信頼できる隣人などである。これが日毎の糧に含まれる。

私たちが日毎の糧を今日もお与え下さいと祈る時、それは食べ物を与えて下さいと祈るだけではなく、私たちの必要を与えて下さいということなのです。謙遜な信仰者は多くを求めないものだと考えるのは、大きな勘違いだと思います。真の信仰者ほど、神様に心のありのままを述べ、必要を求めるのではないでしょうか。

 次に、神様は必要なできごとを与えて下さる方です。ダビデとその一行は、モアブで安心して暮らしていました。しかし預言者ガドが、ダビデにユダに戻るように命じます(5)。ガドの言葉は、ダビデたちを悩ませたかもしれません。彼らは、サウル王を倒して新しい王政を建てるにはまだ早い、と考えていたに違いありません。しかし神様は、イスラエルに攻めてくるペリシテ人を討ち取るためにダビデ一行をユダに返したのだということが、後でわかります(23章)。ダビデにも400人の仲間にも、それは予想外のことだったと思います。仲間たち(2)はそれぞれ自分の願いを持ってアドラムの洞穴に来たに違いありません。しかし、ユダの地に戻って神様の使命を達成した時、自分の小さな願いより神様の使命を達成する方が重要なのだということに気づかされていきます。そしてイスラエルに対し不満だらけだった人々が、神様と指導者ダビデに忠実な者に変えられていきます。私たちの周りで起こる出来事は、全て神様のゆるしなしには起こりません。しかし時に、それは理不尽であり、自分の願いとは逆方向かもしれません。そんな時、私たちはどうしてですか、とたずねる祈りをしてみましょう。神様は私たちに、大切なことを教えようとされているのかもしれません。神様の使命に、あなたを押し出そうとしておられるのかもしれません。ユダに帰れというような理不尽な出来事も、神様の御手の中で起こっていることであり、私の人生に必要だったと振り返りたいと思います。神様は私たちに必要なものすべてを与えて下さることを感謝して、新しい一週間を歩んでいきましょう。

 

 天の父なる神様、みことばをありがとうございます。あなたが私たち以上に、私たちの必要について知っておられる神様であることをありがとうございます。私たちに必要ないように見えた出来事が、必要であることがあります。私たちはなぜですか?と嘆くこともありますが、どうぞその出来事の意味をあなたが示して下さいますように。またここにいる一人一人に日毎の糧を与え、今週一週間の歩みを祝福して下さるようにお願いします。(2021125日礼拝 武田遣嗣牧師)