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一年の感謝を神に 詩篇103篇1~5節

"わがたましいよ主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし
あなたのいのちを穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。"
詩篇 103篇 1〜5節

 

 本日は、神様にささげるべき三つの感謝についてお話します。

 第一は日々の感謝です(1)。この詩篇の作者は、これを自分に向けて歌っています。皆さん神様に感謝しましょうと周りに呼びかけているのではなく、自分が神様への感謝を忘れないように、自らに言い聞かせているのです。では、神様に感謝すべきことは何でしょうか。これまで私たちに与えられた全ての良いものが、感謝の対象です。なぜなら、聖書は私たちに与えられている全てが神様から来ていると教えているからです。「聖」とは、他と区別されることを意味します。つまり「聖なる御名をほめたたえよ」とは、他と区別された偉大な神様をほめたたえよ、という意味なのです。また、今年一年私たちを支えてくれた人や物をどれだけ思い浮かべることができるでしょうか。その根源には神様がおられます(2)。このような視点に立った時、私たちは神様に感謝すべきことがたくさんあると思います。

 第二は救いの感謝です(34)。詩人が多くの恵みの中で特に感謝しているものは、救い(贖い)です。贖いとは、値をもって以前自分の所有だったものを買い戻すということです。人にはそれぞれ罪があります。罪とは、神様と人を引き離すものです。私たちが罪を持っている状態では、聖なる神様に近しい関係を持つことはできません。罪から救われて神様のもとに帰るには、罪の代価を支払わなければなりません。それは死です。ですから、イエス・キリストは十字架にかかって、私たちのために死んで下さったのです。そして贖われた者は、神様に買い戻された神の子どもとなります。救いへの感謝は、信仰生活のキーワードです。だから私たちは毎月聖餐式を行い、イエス様に救われたことを確認しているのです。私たちは救いへの感謝の応答として、良い行いや奉仕をしていきましょう。

 第三に聖化の感謝です(5)。聖化とは、罪の力から私たちが少しずつ解放されていくことを指します。鷲はイスラエルでは力強いものの象徴でした。神様を信じる者は鷲のように新しくなる(聖化される)と書かれています。一つは信仰面で新しくなります。罪の力から解放されるとは、神様とより親しくなることです。倫理面でも新しくなります(Ⅰコリ6:1920)。コリント教会には、妬みあいや分派がありました。不品行も行われていました。彼らに対しパウロは、聖化を求めています。神様の子どもとなった者は、心の中に聖霊が住んで下さるのだから、その体から悪い言葉を出したり、不品行を行ってはならないと説明しているのです。私たちの心に罪ではなく聖霊が満ちるのであれば、倫理面でも聖化されていきます。最後に肉体面でも新しくなります(ローマ8:11)。イエス様が死から復活されたように、信じる者の体も復活するとはっきり書かれています。私たちは未来に与えられることにおいても、感謝することができます。

 

 天の父なる神様、私たちに今年一年、たくさんの恵みを与えて下さったことをありがとうございます。ここにいる一人一人を、あなたはずっと愛して下さいました。私たちが隠れて悪いことをしたり、人を傷つけたような時にも、神様は私たちと共にいて、愛の目を注いで下さっていました。神様、どうぞ私たちがあなたから与えられている恵みを知り、感謝することができますように。来年一年を、私たちがあなたの臨在を感じながら歩む年とさせて下さい。(20211226日礼拝 武田遣嗣牧師)