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神との対話 サムエル記第一23章1~6節

【新改訳2017】

Ⅰサム

[ 23 ]

23:1 「今、ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています」と言って、ダビデに告げる者がいた。

23:2 ダビデは【主】に伺って言った。「行って、このペリシテ人たちを討つべきでしょうか。」【主】はダビデに言われた。「行け。ペリシテ人を討ち、ケイラを救え。」

23:3 ダビデの部下は彼に言った。「ご覧のとおり、私たちは、ここユダにいてさえ恐れているのに、ケイラのペリシテ人の陣地に向かって行けるでしょうか。」

23:4 ダビデはもう一度、【主】に伺った。すると【主】は答えられた。「さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」

23:5 ダビデとその部下はケイラに行き、ペリシテ人と戦い、彼らの家畜を奪い返し、ペリシテ人を討って大損害を与えた。こうしてダビデはケイラの住民を救った。

23:6 アヒメレクの子エブヤタルは、ケイラのダビデのもとに逃げて来たとき、エポデを携えていた。

 ダビデがサウルの領地に着くと、ケイラがペリシテ人に略奪されていると告げる人がいました(1)。ダビデは、自分にとって安全な町だったモアブを離れ、ケイラを救うことが神の御心かもしれないと考えました。そこで彼は御心をたずねる祈りをします。今日はダビデを模範にしてどのように神と対話し、神の御心を知るのかを学んでいきたいと思います。

 第一は、具体的に祈ることです(2)。具体的に祈ると、最初は自分勝手な祈りになることが多いですが、神様の御心を知りたいという思いを忘れなければ、私たちの祈りは少しずつ御心に近づいていきます。

 第二は、神との対話を繰り返すことです(3,4)。2節で神様の御心が示されたものの、ダビデの部下たちはペリシテ人と戦うことを恐れていました。それにはサウルへの恐れも含まれていました。しかし恐れるダビデ一行に対し、神様はもう一度御心を示して下さいました。同様に、御心がわかったとしても感情に左右されやすい私たちに、神様は対話をして下さいます。私たちは、神様との対話が繰り返されることに喜びを味わっているでしょうか。私たちはこの一年、日々祈りとみことばの繰り返しの中で御心が示され、その納得感に導かれていくことを体験したいと思います。

 第三は、最後は御心に従うと心に決めることです。神様には具体的に自分の思いを打ち明けてよいのです。しかし、最後は御心に従うことが信仰者の歩みです。ダビデには個人の思いではなく、この世界をつくられた神様の御心が最善だという確信がありました。そこで少人数でありながらペリシテ人と戦い、ケイラの住民を救い出すことができました(5)

 最後に、神と繰り返し対話することについて、もう少し具体的にお話します。まず、みことばを通して神様が御心を語って下さるように祈ります。次に聖書を読みます。それから、中心的な教えは何か、私たちの生活に適応できることは何かを考えます。さらに「みことばの光」を持っている人はそれを読み、他者の視点で聖書を読んでみます。自分だけの視点で読まないために、これはとても大切です。最後に、教えられたことを心に留めて祈ります。みことばを読んでいる時は、心を白紙にして読むことをお勧めします。この問題の答えがほしいと考えると、自分が語りかけてほしいみことばだけしか聞き取れなくなってしまうからです。私たちは神様の御心をたずねることに近道はないということに、心を留めておきましょう。みことばと祈りの生活を日々繰り返していく中で、今年一年の私たちの歩むべき道が開かれていきます。この世界を創造された神様が、小さな私たちと対話して下さる、この恵みを多くのクリスチャンは無下にしています。みことばと祈りの時間をとって、今日の個所のダビデのようにみことばに導かれていきたいと思います。

 

 天の父なる神様、みことばをありがとうございます。あなたはみことばと祈りを通して、小さな私たちと対話して下さることを学びました。神様、どうぞこの恵みを私たちが無駄にすることなく、日々あなたのみことばを人生の基準にして歩むことができるように助けて下さい。私たちは多くの聖書の知識を持っていても、神様との対話がなければ日々導かれて歩むことはできません。どうか、私たちと関係性を持って下さる神様と、より親しくなる一年にして下さい。(202219日礼拝 武田遣嗣牧師)