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それでも神の計画はある サムエル記23章7~14節

【新改訳2017】

Ⅰサム

23:7 一方、ダビデがケイラに来たことがサウルに知らされると、サウルは、「神は彼を私の手に渡された。彼は扉とかんぬきのある町に入って、自分自身を閉じ込めてしまったのだから」と言った。

23:8 サウルは、ケイラへ下ってダビデとその部下を攻めて封じ込めるため、兵をみな召集した。

23:9 ダビデは、サウルが自分に害を加えようとしているのを知り、祭司エブヤタルに言った。「エポデを持って来なさい。」

23:10 そしてダビデは言った。「イスラエルの神、【主】よ。しもべは、サウルがケイラに来て、私のことで、この町を破壊しようとしていることを確かに聞きました。

23:11 ケイラの者たちは私を彼の手に引き渡すでしょうか。サウルは、しもべが聞いたとおり下って来るでしょうか。イスラエルの神、【主】よ。どうか、しもべにお告げください。」【主】は言われた。「彼は下って来る。」

23:12 ダビデは言った。「ケイラの者たちは、私と私の部下をサウルの手に引き渡すでしょうか。」【主】は言われた。「彼らは引き渡す。」

23:13 ダビデとその部下およそ六百人は立って、ケイラから出て行き、そこここと、さまよった。ダビデがケイラから逃れたことがサウルに告げられると、サウルは討伐をやめた。

23:14 ダビデは、荒野にある要害に宿ったり、ジフの荒野の山地に宿ったりした。サウルは、毎日ダビデを追い続けたが、神はダビデをサウルの手に渡されなかった。

 

 今日は、3人の人物からみこころの尋ね方について見ていきたいと思います。

 第一はサウル(反面教師)です(78)。サウルは自分の領地ケイラにダビデが現れたのを聞いて、ダビデを捕えるのが神様のみこころだと勘違いしました。彼はいつも目の前に起こっていることだけを見て、みこころを判断しようとします。祈る時を持つことができないのです。例えば、ペリシテ人との戦いが大きくなると祭司に祈りをやめさせてしまったり(Ⅰサム14:19)、調子が良い時には祈る必要はないと考えていました(Ⅰサム14:36)。また、8節には祈らない者の特徴が表れています。それは過剰感です。「召集」ということばはⅠサム15:4にも使われ(呼び集めた)、おそらく六百人のダビデ一行を捕えるのに、サウルは二十万人以上の兵を集めたと思われます。彼は過剰に尊敬を手に入れようとして、自分より人気のあるダビデを殺そうとしました。このように過剰感のある人は、いくら手に入れても満足しない気がします。イエス様は、「日毎の糧を今日もお与え下さい」と祈るように言われました。私たちは祈りの中で一日一日、本当に必要なものを求めていきましょう。

 第二は祭司エブヤタル(良い模範)です。彼は、不幸な中でみこころを尋ね続けた人でした(9)。サウルは祭司アヒメレクがダビデに味方したと思い、住んでいた町の住民を殺したのですが、その中でエブヤタルだけが逃れ、ダビデ一行と合流したのでした。彼はエポデを携えていました。エポデは祭司が神様と人との間に立って祈り、みことばを聞く時に身に着ける服の事です。彼は祈りとみことばを手放さずに、ダビデのもとに駆け込んできたのでした。私たちは家族や周りのもの全てを失った時、神はいる、神は自分を愛して下さっていると信じられるでしょうか。ダビデはエブヤタルがいたので、荒野でも神様のみこころを聞くことができました。様々な不幸があっても、それらは神様のご計画のうちにあります。何があっても、みことばと祈りによって神様との対話を続けたいと思います。

 第三はダビデ(良い模範)です(1012)。ダビデはいつものようにみこころを尋ねましたが、神様から返ってきたメッセージは良いものではなく、明確な示しもありませんでした。ダビデはこの後ケイラから出て、どこが安全なのかわからないまま、荒野を放浪し続けました。私たちも祈り求め続けても、答がわからない時があるかもしれません。しかし私たちが覚えたいのは、ダビデも同じような道を通ったということです。神様はダビデの信仰をためしておられました。ダビデは荒野での放浪の末、親友ヨナタンと再会します。ダビデに必要な人々、祭司エブヤタル、親友ヨナタンのような人物を、神様は与え続けていました。神様の存在を感じられない、祈っても無意味に感じるような時でも、神様は働き続け、私たちに最良のものを与えようとし続けて下さっているのだという信仰をもって、みこころを尋ね続けていきたいと思います。

 

 天の父なる神様、みことばをありがとうございます。エブヤタルのように、神は私を見捨てたのではないか、と思うような不幸が私たちを襲うことがあります。ダビデのように、神様は私の祈りを聞いておられないのか、と思うような神様の沈黙があります。しかし私たちは人生において、神様のみこころを尋ね続けることができますように助けて下さい。そして自分に神様のすばらしさを現すために必要なものを、私たちが求め続けていけますように。どうか、私たちの祈りの生活を支えて下さい。(2022116日礼拝 武田遣嗣牧師)