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人を力づける言葉とは サムエル記第一23章15~18節

【新改訳2017】

Ⅰサム

23:15 ダビデは、サウルが自分のいのちを狙って、戦いに出て来たのを見た。そのとき、ダビデはジフの荒野のホレシュにいた。

23:16 サウルの息子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに行って、神によってダビデを力づけた。

23:17 彼はダビデに言った。「恐れることはありません。父サウルの手が、あなたの身に及ぶことはないからです。あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。父サウルも、そうなることを確かに知っているのです。」

23:18 二人は【主】の前で契約を結んだ。ダビデはホレシュにとどまり、ヨナタンは自分の家に帰った。

 ダビデは、サウルに憎まれて逃げていました。しかし神様の明確なみこころは示されず、荒野を彷徨い、もしサウルに見つかったらどうしようという恐れが膨れていく一方でした。しかしそんなダビデに対し、「恐れることはありません」と励ましてくれる友(ヨナタン)が登場します。本日はヨナタンの励まし方の特徴について三つお話します。

 第一は、神による励ましです(16)。私たちの励ましは、大体相手の能力に基づいた励ましではないでしょうか。ヨナタンの励ましは、神様を根拠にしていました。

この神による励ましを掘り下げていくと、第二のみことばによる励ましになります(17)。ヨナタンはダビデに、あなたが次の王になると励ましました。これはヨナタンが何となくそう思ったのではありません。ダビデの少年時代、預言者サムエルを通して、神様はダビデがイスラエルの王になると言われました。つまりヨナタンの励ましは、その時のみことばに根拠があるのです。神様は一度語られたことを破ったり、曲げたりはしません。有言実行の神様です。ダビデもそれを重々承知していたと思いますが、サウルに追われ、肉体的にも精神的にも追い詰められていく中で、あなたが次の王になるというみことばの真理を信じることが困難になっていました。私たちも聖書のみことばが真理だと知った者ですが、何か困難があると、基本的な真理(神様は信じる者を愛する、罪をゆるす、救いに入れる、天の御国に導く)ですら捨ててしまうような弱さを持っています。私たちは自分自身が感情的で揺らぎやすい者だと認めつつ、クリスチャン生活をしていかなければならないと思います。このようなみことばの真理は、同じ内容を何度も聞かなければなりません。礼拝では同じ内容の真理を、言葉を変えて何度も語りますが、それはもう知っているから聞かなくてよい、というのは間違った考えです。私たちは礼拝のメッセージや兄弟姉妹から、みことばの真理を何度も聞くことによって、人生を励まされて生きていくことができると思います。

 第三は、兄弟(信仰者)による励ましです(18)18節以降、ダビデとヨナタンは二度と会うことがありませんが、彼らは生涯の友情を約束する契約を結びました。ダビデは同じ神様を信じる友ヨナタンがいなければ、この荒野の試練を乗り越えることはできなかったでしょう。私たちが確認したいのは、ダビデでさえ信仰の友が必要だったということです。教会の信徒は、自分は人を支え、人に支えられる存在であることを認める必要があります。私たちには、他の信徒のみことばによる励ましが不可欠です。私は牧師ですが、指導者であると共に、教えられやすい牧師でなければならないと思っています。サウルは助言してくれるはずの祭司を殺してしまい、助言する息子ヨナタンに槍を投げる始末でした。彼は自分の知識、力によって未来を切り拓いていけると信じ、他の人の支えは不必要だと考えていたのです。結果的に無実のダビデを追い回し、ダビデとヨナタンの美しい友情を破壊し、自分の国イスラエルを内側から滅ぼしてしまいました。私たちはある時は支える人としてみことばやその体験を語り、またある時は支えられる人としてみことばを真摯に聞きましょう。

 最後に、自分自身にこう問いかけてみましょう。自分の励ましは、相手の能力に基づいた励ましだったか、それとも祈りとみことばによる励ましだったかと。また、自分のできる神の励ましは何か、相手にどんなみことばを送れるか、どんな一言をかけられるだろうかと。

 

 天の父なる神様、今日はヨナタンの励ましに学びました。私たちも神様を根拠にした励ましの言葉を人にかけることができるように助けて下さい。また、教会の人間関係は一方的に支える、一方的に支えられる関係ではないことを学びました。どんなに年をとり、身体が動かなくなっても、誰かを励ます言葉をかけることができます。本当に相互性のある関係が神の教会の家族だということを私たちが肝に銘じて、これからの教会生活を歩んでいけるように助けて下さい、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です(ヨハネ15:5)」。私たちは神様に信仰を与えられ、この場所に集められました。あなたを中心として、この交わりをより深めていくことができるよう助けて下さい。(2022123日礼拝 武田遣嗣牧師)