· 

荒野で喜び歌う サムエル記第一23章19~29節

【新改訳2017】

Ⅰサム

23:19 ジフ人たちは、ギブアのサウルのところに上って行って、言った。「ダビデは私たちのところに隠れているのではありませんか。エシモンの南、ハキラの丘のホレシュにある要害に。

23:20 王よ。今、下って行こうとお思いでしたら、下って来てください。私たちが彼を王の手に引き渡します。」

23:21 サウルは言った。「【主】の祝福があなたがたにあるように。あなたがたが私のことを思ってくれたからだ。

23:22 さあ行って、さらに確かめてくれ。彼が足を運ぶ場所と、だれがそこで彼を見たかを、よく調べてくれ。彼は非常に悪賢いとの評判だから。

23:23 彼が潜んでいる隠れ場所をみな、よく調べて、確かな知らせを持って、ここに戻って来てくれ。そのとき、私はあなたがたと一緒に行く。彼がこの地にいるなら、ユダのすべての分団のうちから彼を捜し出す。」

23:24 彼らはサウルに先立ってジフへ行った。一方、ダビデとその部下は、エシモンの南のアラバにあるマオンの荒野にいた。

23:25 サウルとその部下はダビデを捜しに出て行った。このことがダビデに知らされたので、彼は岩場に下り、マオンの荒野にとどまった。サウルはこれを聞き、マオンの荒野でダビデを追った。

23:26 サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山のもう一方の側を進んだ。ダビデは急いでサウルから逃れようとした。サウルとその部下が、ダビデとその部下を捕らえようと迫って来たとき、

23:27 一人の使者がサウルのもとに来て、「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に襲いかかって来ました」と言った。

23:28 サウルはダビデを追うのをやめて帰り、ペリシテ人の方に向かった。こういうわけで、この場所は「仕切りの岩山」と呼ばれた。

23:29 ダビデはそこから上って行って、エン・ゲディの要害に住んだ。

 

 サウルに憎まれてダビデがたどり着いた荒野には、愛する妻も親友ヨナタンもいません。

また荒野には豪華な食事もなく、不自由することばかりです。私たちも、人生の荒野を通ることがあります。今日の箇所はそのような時、私たちに示唆を与えてくれると思います。

 まず第一に、神様の性質に心を留めることです(19)。ダビデはサウルから逃れるために、ジフの荒野という場所へ行きました。しかしそこにいるジフ人がダビデをサウルに引き渡そうとしました。ダビデがジフの荒野を通る時に書いた詩篇543に、ジフ人の印象を記しています。彼は、恨まれる覚えのない人たちからも敵対視されてしまいました。そのような荒野をダビデはどのように乗り越えたのでしょうか。彼は苦しい時、神様の性質(神様の偉大さと愛)に心を留めました(詩5412)。ダビデはこの偉大な神様が、小さな自分の祈りを聞いて下さることを信じて疑いませんでした。今から二年前、水泳のトップ選手だった池江璃花子選手が、十八歳の若さで白血病になってしまいました。しかし彼女はインターネットの書き込みに、神様は乗り越えられない試練は与えないと残し、今も活躍しています。フィギュアスケートの羽生結弦選手も、柔道の阿部一二三選手も同じような発言をしていました。彼らはクリスチャンではありませんが、試練を乗り越えさせてくれる愛の神様がいることは、無意識に認めているのではないかと思います。クリスチャンはどうでしょうか。私たちは、みことばから愛の神様のことをはっきりと教えられています。日々聖書を読み、神様のすばらしい性質を発見していきたいと思います。

 第二に、喜びを選択するということです。聖書は私たちに、喜びなさいと繰り返し命じています。普通、喜びや悲しみは自分では選択できない、境遇によるものだと考えられています。しかしダビデの人生を見ると、彼は悲しい出来事の中で喜びを選び続けた人でした(24)。マオンという場所は、現在も第一サムエル記の時代と同じ姿を残しています。低い山があり、周囲には羊が食べられる草が沢山生えています。ここにもサウルは追いかけて来るのですが、間一髪でダビデの命は救われました(2627)。驚くべきことは、この一連の逃走劇の中でダビデが常に神を喜んでいたということです(詩5467)。ダビデは。自分を悲劇のヒーローのようにして悲しんだり、サウルを恨んだりすることもできました。でも彼は神様の偉大さを信じて、喜ぶことを選択したのです。聖書には、心の貧しい者は幸いですとあります。ダビデは、神様以外に頼るものはないという状況だったでしょう。しかしそういう状況だからこそ、初めてわかる信仰生活の喜びがあったのではないかと思います。

私たちは悲しい境遇になったら悲しみ、神様を恨む思考になっていないでしょうか。悲しい状況の中で、しかし神は愛である、偉大であると信じて、喜ぶことを選択しようではありませんか。そしてその喜びは、周りの人たちに伝わっていきます。

天の父なる神様、みことばをありがとうございます。あなたは永遠、無限、普遍なる神様です。神様は、私たち人間がもう神様のことはわかった、知っていると思うような底の浅い方ではありません。どうぞ、私たちが神様のすばらしいご性質をいつも知りたいと思って聖書を開くことができますように。そして困難の中にある時、神様が共におられるという確信を持って、その困難に立ち向かえるように、喜びを選択することができるように力付けて下さい(ピリピ44)。(2022130日礼拝 武田遣嗣牧師)