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聖霊に満たされて歩む エペソ人への手紙5章15~20節

【新改訳2017】

エペ

5:15 ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、

5:16 機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。

5:17 ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。

5:18 また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。

5:19 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。

5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。

 本日は三つのこと、即ち①聖霊に満たされるとは何か、②聖霊に満たされた教会とは何か、③聖霊に満たされるために、何をすればいいのか、についてお話をします。

 聖霊に満たされるとはどういうことでしょうか。18節には、酔っぱらうことと聖霊に満たされることとが並べて書かれています。どちらも喜びや開放感をもたらします。しかし酒に酔い続けた結果、その末路は放蕩です。一方、聖霊に満たされ続ける結果、知恵が与えられます。この知恵とは知識ではなく、神様の存在を認め、神様の御心を悟る知恵です。私たちはどうしても、酒に酔った人のように自分の思うままに、自己中心に振舞ってしまうことがあります。それによって、人と神様を悲しませてしまうことがあります。しかし私たちが聖霊に満たされている時には、神様が共にいることを認めて、神様の御心を行うことができるのです。よくある誤解ですが、聖霊に満たされるとは、知性を失ったように恍惚状態になることではありません。私たちは時に、自分自身に絶望するかもしれません。自分はあまり賢くない、自分の発言が家族や教会に益をもたらすことはないかもしれないと。しかし神様を信じるなら、私たちの心には聖霊が働いています。そして聖霊によって知恵が与えられ、神様の働きをすることができるのです。「御霊に満たされなさい」ということばは、18節以降に影響を与えています。聖霊に満たされる時、夫婦間に(22~)、子どもたちに、主人に(6章~)、良い影響を与えていくことができます。

 次に、聖霊に満たされた教会について学びましょう(1921)。第一に、聖霊に満たされた教会には、みことばによる交わりがあります。ある神学者は、「詩と賛美と霊の歌」とは詩篇を指していると言いました。即ち、詩篇をもって互いに語り合う、みことばによって語り合うことがここで勧められているわけです。私たちの会話の中に、どれだけみことば或いはみことばが土台になったことばがあるのか、振り返ってみたいと思います。私たちの交わりの中心に、神様とみことばを据えようではありませんか。

 第二に、聖霊に満たされた教会には、心からの賛美があります。ただリズムに乗って気持ちよく歌うだけではなく、歌詞の意味を理解した上で心から賛美をささげる必要があるでしょう。

 第三に、すべてのことに感謝する特徴があります(20)。不満に満ちている教会は、果たして聖霊に満ちた教会といえるでしょうか。聖霊の主要な働きの一つは、人を悔い改めに導くことです。私たちが聖霊に満ちているなら、人の目のチリではなく自分の目の梁、人の罪ではなく自分の重大な罪に気づくことができるはずです。私たちは不満ではなく、悔い改めと感謝が私たちの内にあるかどうか、振り返ってみたいと思います。

 第四に、互いに仕えあう特徴があります(21)。教会の中では、すべての人が仕え合う必要があります。イエス様が弟子たちの足を洗われたように、私たちも兄弟姉妹に仕える者でありたいと思います。私たちは、共に聖霊に満ちた教会を目指していきましょう。

 最後に、聖霊に満たされるために、何をすればよいでしょうか。「御霊にみたされなさい」(18)は受動態です。神様が働かれて初めて、私たちは御霊に満たされることができます。しかし、無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしり(4:30,31)、このようなものが私たちの内側にあると、内におられる聖霊はとても悲しまれます。もし私たちが聖霊の満たしを願っていくなら、このようなものはすべて捨てて悔い改める必要があるでしょう。私たちは罪人ですから、このようなものがどうしても心の底から溢れてきます。しかし主に悔い改めることによって、聖霊に満たされる準備をすることができるのです。悔い改めた後は、聖霊を求める祈りをしてみましょう(Ⅰヨハ514)。

 「使徒の働き」には、何度も「御霊に満たされて」ということばが出てきて、その度に教会が成長していきました。私たちは自分の力や思いに固執するのではなく、私たちの内に聖霊の働きがあることを信じて教会生活を送っていきたいと思います。

 

 天の父なる神様、今日は聖霊について共に学びました。私たちの思い、また奉仕によって教会が建てあげられていないでしょうか。この教会をどうぞ、あなたが、聖霊様が力強く導いて下さいますように。私たち一人一人に深く臨んで下さい。私たちに罪があるのならそれぞれ悔い改め、そして聖霊を求めることができますように。主よ、どうぞ私たちと共にいて下さい。あなたが教会の主として私たちを導いて下さい。(202265日礼拝 武田遣嗣牧師)