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「教会は何をするところか」 使徒の働き2章42節

【新改訳2017】

使

2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

 私たちは教会に対して、様々な理想を持っていると思います。但し教会は聖書の土台の上に立てあげられるべきものです。使徒242によると、世界で最初の教会は四つのことに専念していました。使徒たちの教えを守る、交わりを持つ、パンを裂く、祈ることです。今日はこれらを順に見ていきましょう。

 第一は、使徒たちの教えを守ることです。世界で最初の教会は、使徒ペテロのメッセージを聞いて、心を刺された人々がメンバーでした(42)。彼らは、ずっと待ち望んでいた救い主を自分たちの手で十字架にかけてしまった、正しくありたいと思いながらその逆をしてしまった、そんな愚かな自分に絶望し、「わたしたちはどうしたらよいでしょうか」とペテロに問いました。つまり、みことばを聞いて悔い改めた者たちが最初の教会のメンバーだったのです。私は時々、自分の罪の無自覚が今の自分の心の葛藤に繋がっているのではないかと思います。もし私が罪深さに心を刺されているなら、誰かを裁いたり、憎んだりすることはないはずです。私たちは、みことばを通して自分の罪を示されているでしょうか。みことばを通して、その罪がゆるされていることに、どれぐらい感謝しているでしょうか。教会の特性は聞くことです。聞くことを忘れて、自分の考え、主張にとらわれることがないでしょうか。ペテロのメッセージに心刺された人々は、使徒たちの教えを守り続ける教会生活を送りました。私たちもみことばに専念する、聞く教会でありたいと思います。

 第二は、交わりを持つことです。交わり(コイノニア)という言葉には、共有する(44,45)という意味があります。彼らは自分の財産を共有していました。今の私たちにはなかなか真似できませんが、例えば、心に響いたみことばや近況を語りあって共に祈ることは、共有の一つだと思います。また、交わりという言葉には、与えるとか支えるという意味があります。使徒6章には、彼らが貧しい人々に食物を配給していたことが書かれています。また教会間でも、経済的に困難な教会に諸教会が献金を送ったことが書かれています。交わりとは与え合う関係のことです。愛や励ましがほしいと願って教会に来る人がいていいのですが、私たちは最終的には、自分は与える人になるのだという目標を目指して教会に集いたいと思います。みことばを通し、イエス様の十字架と復活によって私たちがどれぐらい与えられたのか理解していく中で、与え合う交わりができていきます。

 第三は、パンを裂くこと(聖餐式)です。聖餐式に与る時、私たちが心に留めることがあります。それはキリストと一つになったこと、教会と一つになったことです(Ⅰコリ10:16,17)。「あずかる」には、前に述べたコイノニアという言葉が使われています。つまり、キリストのからだを共有するという意味があります。私たちの肉体は衰えていきますが、私たちはキリストとからだを共有しているわけですから、キリストと共によみがえって新しいいのちを持っているのだということを、聖餐式を受けるたびに覚えましょう。またご存じのように、聖餐式では一つのパンを切って皆さんにお渡ししています。ですから私たちは聖餐式のたびに、自分は周囲の一人一人と繋がっていること、自分もまたこの教会の一部であるということに心を留めましょう。

 第四は祈ることです。祈りには個人でする祈り、共にする祈りがあります。個人の祈りはとても大切です。例えば、イエス様は寂しい所に行かれて一人で祈られました。またイエス様は、隠れた場所で祈るように仰いました。一方、使徒2:42の祈りは、共に祈る祈りを指しています。イエス様は共に祈るところに一緒にいて下さいます(マタイ18:19,20)。考えてみると、主の祈りも複数で一緒に祈ることが前提になっています(天にいます私たちの父よ)。さらに使徒の働きの最初の教会は、困難があるとすぐに集まり祈りました。今、個人主義的な社会の中で、共に祈ることがないがしろにされやすいのではないかと思います。

 最後に、自分に問いかけてみましょう。私たちは聞くことができているでしょうか。与える交わりに専念しているでしょうか。キリストの救いを日々感謝しているでしょうか。共に祈る祈りを大切にしているでしょうか。私たちが望む教会ではなく、神様が望む教会に向かって共に歩んでいきたいと思います。

 

 天の父なる神様、イエス・キリストの十字架と復活によって教会が誕生し、私たちもそこに集うことができることをありがとうございます。教会がこうなればいいと考えたり、まるで外から教会を見ているような気持になったりすることもありますが、私たちも教会の一部であるということを今日、覚えました。私たちが聞く者に、与える者に、感謝する者に、共に祈る者になっていくことが大切です。そしてまず自分が動き始めるなら、私たちはそれぞれ繋がっているのですから、互いに影響し合っていくはずです。私たちはどのような者になっていくべきでしょうか。主よ、聖霊様の御力によって一人一人に悟らせて下さい。(2022731日礼拝 武田遣嗣牧師)