2020年 ギデオン協会の報告と証

 

本日はギデオン協会の鈴木英一兄が来訪され、礼拝後、証と活動成果等の紹介をして下さいました。

 

 

 

 はじめに、ギデオン協会の歴史について紹介がありました。

 

http://www.gideons-jp.org/aboutus/history

 

次に、「三つのお願い」についてお話をして下さいました。

 

1)私どもギデオンは、教会とは異なる切り口でイエス様を伝える働きをしています。たとえば、教会がなかなか入っていきにくい場所(ホテル、学校、病院、刑務所など)に向かい、年間約38004000冊の聖書を配っています(茨城北支部)。ギデオンの働きに興味のある方、奉仕を希望される方は、ぜひ牧師先生にお話し下さい。

 

2)聖書の印刷費用や活動のために、献金をお願いいたします。

 

3)ギデオンのために、活動のためにお祈りをして下さい。

 

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ギデオン協会 報告と証

 

 私は福島県喜多方市の出身です。母はクリスチャンでしたが、家が農家であったため、農作業が忙しい春から秋は、教会に行くことが叶いませんでした。私は東京で学生生活を送り就職、1985年に転勤で水戸に赴任し、会社のアパートに近い千波町の水戸聖書バプテスト教会に行くようになりました。妻もクリスチャンで、私はキリスト教にあまり違和感はなかったのですが、当初は自分には必要ない、家庭の平和のために行っているようなものでした。

 

しかし、主日礼拝や特別集会に出席するうちに、世の常識と全く異なる聖書の価値観に惹かれ、クリスチャンとの交わりをさせていただくうちに、神無しの生活を送ることは、神様を無視している罪だとわかり、そのためにイエス様が十字架上の苦しみを受けて下さったと知りました。神様に従う決心をし、198012月(42歳)に洗礼を受けました(ルカの福音書157)。

 

 その後、同じ職場だった兄弟から再三勧誘を受け、半ば強引に154月、ギデオン協会茨城北支部に入会し、今に至っています。

 

 さて、ギデオン協会の目的は「人々をイエス・キリストの救いに導く」ことです。本日は、このギデオンの働きについて簡単に説明をしたいと思います。まず、世界でギデオンが活動している国・地域は200か国に及び、会員数は17万余名、1年間の聖書贈呈数は55万冊、累計では3982万冊を数えます。

 

茨城北支部については、会員10名、夫人会員7名で、メンバーは殆ど企業や役所を退職された方々です。所属協会は様々ですが、神の家族として一致し、神のご栄光を現したいと願っています。具体的には、水戸以北の水戸、日立、高萩、大子、那珂、大宮地区の中学・高校に伺い、校長・教頭先生にお会いして、聖書贈呈の依頼をしています。私が想像していたより皆さん好意的に接して下さり、受け入れて下さっています。教職員の方々の対応も概ね好意的で、教育現場の現状や課題などを、それとなく話して下さることもあります。また、生徒さんたちと会うと元気よく挨拶してくれて、爽やかな感じがします。

 

勿論、門前払いをされたり、拒絶されることもあります。しかし、何の約束もなく訪問し、いきなり校長・教頭に会いたいというのは、世間の常識からすれば、普通でないかもしれません。これまでの実績(前に頂いた先生の名刺を示したり、受け入れられた聖書の冊数などを話す)、ギデオン会員の態度・行動から一定の理解が得られているものと思います。子どもの数が減少し、県北地域では学校の統廃合が進められていますが、学校・先生と継続的に接触し、繋がりを保っていくことが肝要だと思います。私たちは宣教命令の一環として、地道ではありますがこの活動をしていきたいと思います。

 

ギデオンの聖書によって神様の救いに与った方は、多数おられます。改革派ひたちなか教会の小林義信先生は、40代半ば、ベルギーで国際会議に参加し、ホテルの引き出しに入っていた聖書の「You must born again」(もう一度生まれなければならない)という言葉に、人生の意味を考え直して生きていかねばならないと思い、57歳で神学校に入り、60歳で卒業、62歳で牧師になられました。またギデオン会員に送られる会報誌にも、毎号ギデオンの聖書によって救われたという手記が掲載されています。いつ、その聖書が手に取った人に働き、教会に導かれたり、救いに与ったりするかわかりませんが、神様は必ず用いて下さると信じて、活動を続けたいと思います。

 

最後に、私が今、励まされている御言葉を読ませていただきます。これは11年前、私の母の告別式で、母の友人が感話の冒頭に読んだ御言葉です。   

 

5:3 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、

 

5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。

 

5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ人への手紙535

 

お願いが三つあります。ギデオン協会のために祈っていただくこと、ギデオンの働き手を起こしていただくこと、そして贈呈する聖書のために献金をしていただくことです。

 

ご在天の父なる神様、御名を讃美いたします。本日、那珂湊キリスト教会でこのような機会をいただき、心から感謝申し上げます。教会とギデオンとの献金のみによって購入しております聖書が、迷っている若い魂に、疲れ病んでいる人の心にどうか届き、教会に導かれて、主のご栄光と癒しに満たされますように。また「教会の腕」としてのギデオンが、全国の教会から起こされますようにお願いします。那珂湊キリスト教会と、日本国際ギデオン協会の上に、主の恵みと祝福が限りなくありますように。(2019.02.17 ギデオン協会茨城北支部 折笠顕兄)

 

 

 

 

 

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2018年 報告と証

 

 改革派ひたちなか教会の小林義信先生は25年前、ベルギーのブリュッセルに行き、ホテルに泊まりました。部屋にギデオンの聖書があり、何気なく開いた所が、「You must born again.」(もう一度生まれ変わりなさい)でした。それがきっかけで、帰国してからもう一度聖書を読みなおしました。実は先生はクリスチャンになってから約30年、教会から離れていたのですが、その後教会に戻って、再び洗礼を受けたそうです。

 

 また、先日私が所属する団体の総会がありました。その時、ある兄弟が、自分が初めてもらった聖書はギデオンの聖書だったと言いました。彼の奥さんは熱心なクリスチャンで、自分は奥さんの送迎のついでに礼拝に出ていたのですが、その聖書を読むようになり、心に残った箇所に線を引くようになりました。そして信仰を深めていき、今では前橋の教会で役員をされているということでした。

 

 さらに鉾田では、ある高校生がギデオンの聖書を持って教会を訪れたという報告もありました。

 

 ギデオン教会の目的はただ一つ、人々をイエス・キリストの救いに導くことです。その手段として、ギデオン会員は「みことばを宣べ伝え なさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」(Ⅱテモテ42)の御言葉のもとに証をし、新約聖書を学校に贈呈しています。冊数は減っていますが、なくなったから下さいと言われる校長先生もおられ、聖書が生徒のもとに届いていると、私は信じております。

 

 4月上旬には茨城キリスト教大学入学式で、418日には水郡地区の学校で聖書贈呈を行う予定です。ぜひこのためにお祈りください。

 

 私たちは、プロテスタントの教会から送り出されたビジネスマンであり、教会の伸ばされた腕として活動しています。「収穫は多いが、働き手が少ない」( マタイ937)、「しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いた ことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。」(ローマ1014~15)とあります。御言葉を聞いたことがない人、見たことがない人は大勢います。その人たちに、中高生のころから御言葉に触れてもらい、教会に足を向けてもらう、私たちはその種まきをしています。

 

 最後に、聖書を印刷する資金はすべてギデオン会員の献金と、教会訪問による献金から成り立っています(1000円の献金で7冊くらい)。どうぞ続いてギデオンの働きのためにお祈りください。

 

☆ 本日はギデオン協会から加山文規兄が来られ、活動報告と証をして下さいました。

 

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ハッピー・セルの恵み

 

私たちは20年前、東京におりました頃、ギデオンのメンバーになりました。ギデオンに入会してから聖書の読み方ががらりと変わり、生活も恵まれた生活になりました。

 そして今、日立で我が家を月に一回若者に開放しています(ハッピー・セル)。

  

 私たちが提供するのは、豪華な食事、聖書タイムです。ギデオンの聖書を使って15分聖書を読み黙想し、示されたことや変えられたことをありのまま紙に書いて話し合います。話したくない人は、パスしてもかまいません。そして三つの原則があります。その場で聞いたことは外に漏らさない、裁かない、しきらないということです。そしてお茶タイムです。これは時にロウソクで演出をし、雰囲気を楽しみます。食事からお茶まで大体4,5時間、時には夜半を超えることもあります。そこで私たちがいつも示されるのは、会を導くリーダーは神様だということです。ですから、いつでも祈って備えます。そしていつでも感謝と感動をいただいています。今日はその一端をお話しします。

  

 まず2004年、茨大のバイブルリサーチのメンバーが月に一回、第二金曜日の夜、我が家に来てくれることになりました。その年は4人から8人になり、教派や学校の壁を越え、しかも半数はノンクリスチャンでした。翌年、私の所属する教会に来た茨キリ大の新入生が仲間を連れてきて、参加者が更に増えました。アルバイトで教会に行けないけれど、ここに来ると恵まれます、と言う学生もいました。13年間で145回、107人がこの集いに参加し、7人が受洗、4人が献身しました。また8組の家庭が誕生し、一人の二世が誕生しています。

  

彼らに自己流でもいいのでお祈りを勧めると、ノンクリスチャンであっても心を開いて祈ります。私はまず、信仰を恥としない若者の純粋さに感動しました。そしてこの集いは、本音で泣きながら語る場になりました。また、若い人たちが自主的に活動するようになりました。教会が質的にも変えられました。青年会が子どもたちとお泊り会を開いたり、毎月うどん作りをしていた壮年層が聖書タイムを持つようになりました。

  

 メンバーの恵みについて公表はできませんが、私についてはお話できます。先日「わたしはぶどうの木、父は農夫である」の箇所を読んで、「枝は切り取る」というキーワードが与えられました。都会育ちの私はブドウの性質や育て方を知らなかったので、イエス様の語られた意図が全く理解できませんでした。そこでネットでその性質を調べたところ、大変驚きました。ブドウの木は、前の年に出た枝は4つか5つくらい残し、後は惜しまずすべて切る、しかも木の活動が止まっている厳しい寒さの頃にやるのだそうです。自分の役に立たない悪い芽は、私が眠っている時に神様が切り取って下さるのだ、朝目が覚めた時、前の晩には思いつかなかったアイディアがよく浮かぶのはこれだったのだ、と思わされました。

  

 とは言え、いいことばかりではありません。お泊り会の活動は途絶え、茨キリの学生がここ数年来なくなりました。しかし神様は新しい変化を下さり、一時は消滅した聖書研究会が名称を変えて再出発し、先月のハッピー・セルに2人来ました。このように、神様は時に切り取ることがあっても、復活させて下さる方なのです。

  

 天のお父様、教会が聖書の資金をささげ、働き人を送って下さり、またギデオンのために祈って下さいますから、私たちは教会の腕として、宣教の一端を担ってきました。パウロが宣教の旅を終えて真っ先にしたことは、協力して下さった教会への報告でした。今日またそのような機会をあなたが導いて下さって本当にありがとうございます。あなたが若者の心をとらえ、聖書に立ち返らせ、若者の人生を180度変えて下さいますから、私たちは希望を失うことはありません。人がどこから来てどこへ行くのか、明確に語っている聖書にこそ若者を惹きつける真理があります。どうぞ、ギデオンの目的である、一人でも多くの人にあなたの真理を伝える働きが全うできますようにお導き下さい。(日本国際ギデオン協会 石塚猛兄)  

 

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2016年ギデオン協会茨城北支部の報告と証

2月14日、ギデオン協会茨城北支部の菊山紀彦兄が報告と証を、また礼拝に続いて、宇宙を創造された神様のわざについてお話をして下さいました。

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「教会は何をするところか」 使徒の働き2章42節

【新改訳2017】

使

2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

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第127回童謡・唱歌・讃美歌を歌う会

「故郷」、「赤い小鳥」、「たなばたさま」、「琵琶湖周航の歌」、「山小舎の灯」、「祈れ、み父のみ顔見上げて」(福音讃美歌376番)を歌いました。参加者は5名でした。

 

 【新改訳2017

マルコ

10:49 イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその目の見えない人を呼んで、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたを呼んでおられる」と言った。

10:50 その人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。

イエス様が呼んできなさいと言われた「あの人」とは、目の見えない人でした。ユダヤでは、目の見えない人にあまり優しくありませんでした。あの人が目が悪いのは、あの人(もしくは先祖)が悪いことをしたから天罰が下ったのだ、と差別していたのです。このような考え方は、現代の日本でもよくあるような気がします。しかし、イエス様の考え方は違っていました。

 目の見えない人は、自分の願いをイエス様に素直に言いました。彼にとって、目が見えないことは痛み、恥の部分です。でも彼はそれをイエス様の前に明らかにして、正直に願ったのです。皆さんには、誰にも話せない痛みや恥を話せる人がいますか。私たちは背伸びして生きているので、そういう人は中々見つからないと思います。でも痛みや恥を話せない状態が続いていくと、自分や人を傷つけてしまうことがあるかもしれません。この目の見えない人は、長年の痛み、恥をイエス様の前にさらけ出しました。そうしたら、「あなたの信仰があなたを救いました」とイエス様に言われ、彼の目は癒されたのでした。

 私たちもそれぞれ、心の闇の部分を持っているのではないでしょうか。しかしイエス様は、この目の見えない人のように、素直に自分の闇の部分をさらけ出した人に「あなたの信仰があなたを救いました」と声をかけて下さいます。

 今日は七夕の歌を歌いましたが、短冊に自分の願いを書くことは素敵な風習だと思います。しかし、あなた方の本当の願い、本当の思いをわたしに明らかにしてほしいと言って下さるイエス様がおられることを共に覚えたいと思います。

 ピリピ人への手紙に、祈りについてのみことばがあります。

【新改訳2017

ピリピ

4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

4:7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

私たちは自分の心に恥や痛みをため込んでしまって、それが変に歪んでしまうかもしれません。しかしイエス様は、何も思い煩わないでわたしに言いなさいと仰います。そうすれば、今あなたは苦しんでいるかもしれないけれど、人間の理解を超えた神様の平安があなたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

 

 天の父なる神様、私たちには人には話すことができない心の闇があるかもしれません。しかし、どんな汚い思いであっても、イエス様はあなたのそれが聞きたいのだと仰って下さることをありがとうございます。主よ、どうぞ私たちがあなたから隠れるのではなく、あなたの前に自分の心を露わにしていけるように、イエス様の愛を信じてあなたにお話できるように助けて下さい。武田遣嗣牧師

 

 

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イエスの生涯 ローマ人への手紙10章8~11節

【新改訳2017】

ロマ

10:8 では、何と言っていますか。「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。

10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。

10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

10:11 聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。

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ダビデとサウル王 サムエル記第一31章1~13節

【新改訳2017】

Ⅰサム

[ 31 ]

31:1 さて、ペリシテ人はイスラエルと戦った。イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺されて倒れた。

31:2 ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。

31:3 攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼を狙い撃ちにしたので、彼は射手たちのゆえにひどい傷を負った。

31:4 サウルは道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、私を刺し殺してくれ。さもないと、あの無割礼の者たちがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶりものにするだろう。」しかし、道具持ちは非常に恐れて、とうていその気になれなかった。それでサウルは剣を取り、その上に倒れ込んだ。

31:5 道具持ちは、サウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に身を伏せて、サウルとともに死んだ。

31:6 こうしてその日、サウルと三人の息子、道具持ち、それに彼の部下たちはみな、ともに死んだ。

31:7 谷の向こう側とヨルダン川の向こう側にいたイスラエルの人々は、イスラエルの兵士たちが逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見て、町々を捨てて逃げた。それで、ペリシテ人がやって来て、そこに住んだ。

31:8 翌日、ペリシテ人が、刺し殺された者たちからはぎ取ろうとしてやって来たとき、サウルと三人の息子たちがギルボア山で倒れているのを見つけた。

31:9 彼らはサウルの首を切り、彼の武具をはぎ取った。そして、ペリシテ人の地の隅々にまで人を送り、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた。

31:10 彼らはサウルの武具をアシュタロテの神殿に奉納し、彼の死体はベテ・シャンの城壁にさらした。

31:11 ヤベシュ・ギルアデの住民は、ペリシテ人がサウルに行った仕打ちを聞いた。

31:12 そこで勇士たちはみな立ち上がり、夜通し歩いて行き、サウルの死体と息子たちの死体をベテ・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに帰って来て、そこでそれらを焼いた。

31:13 彼らはその骨を取って、ヤベシュにあるタマリスクの木の下に葬り、七日間、断食した。

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恵みの雨はみなに降る サムエル記第一30章21~31節

【新改訳2017】

Ⅰサム

30:21 ダビデは、疲れてダビデについて来ることができずにベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところに来た。彼らは、ダビデと彼に従った者たちを迎えに出て来た。ダビデは、この人たちに近づいて彼らの安否を尋ねた。

30:22 ダビデと一緒に行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らは一緒に行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物は、分けてやるわけにはいかない。ただ、それぞれ自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」

30:23 ダビデは言った。「兄弟たちよ。【主】が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。

30:24 だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。」

30:25 その日以来、ダビデはこれをイスラエルの掟とし、定めとした。今日もそうである。

30:26 ダビデはツィクラグに帰って来て、友人であるユダの長老たちに戦勝品の一部を送って言った。「これはあなたがたへの贈り物で、【主】の敵からの戦勝品の一部です。」

30:27 その送り先は、ベテルの人々、ラモテ・ネゲブの人々、ヤティルの人々、

30:28 アロエルの人々、シフモテの人々、エシュテモアの人々、

30:29 ラカルの人々、エラフメエル人の町々の人々、ケニ人の町々の人々、

30:30 ホルマの人々、ボル・アシャンの人々、アタクの人々、

30:31 ヘブロンの人々、すなわち、ダビデとその部下がさまよい歩いたすべての場所の人々であった。

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