いっしょに歌おう 第29回

 「真っ赤な秋」、「野菊」、「リンゴの唄」、「讃美歌319番(主イエスのみ声は罪ある者を)」、「故郷」を歌いました。参加者は13名でした。

 ルカの福音書12章18~21節、ヘブル人への手紙9章27~28節

 聖書は、今から3400年前から2000年前、約1400年の歳月をかけて、40人の人によって書かれました。そして旧約聖書と新約聖書にわかれていて、旧約聖書はヘブル語、新約聖書は古典ギリシャ語で書かれています。すでに2400語に翻訳され、私たち人間のいのちや死について教えています。その中の数節をご一緒に読みましょう。

 私たちは、物がいっぱいあれば安心しやすいのですが、イエス様はそうではないと言われました。自分が死んだ時の備えになるように生きなさい、と言われたのです。物やお金は自分の死のために備えになりません。では、死に備えるとは何でしょうか。それは神様に信頼すること、自分の自己中心を悔い改めて、イエス様に頼るということです。私たちはいつ死ぬかわかりません。私たちの生き死には神様の手にあるのであって、医者の手によるのでも、私たちの健康管理によるのでもないのです。

 

 日野原重明さんのように、百歳でも元気で、階段を二段飛びされるような方でも、どんな医者も医学も百戦百敗だと言われました。医学が死に打ち勝つことはないのです。でも、人間は死ぬだけではありません。死後さばきを受けるのです。その時に耐えられるように、イエス様は、私たちの身代わりにさばきを受けて下さいました。そしてイエス様を信じる者は罪がゆるされ、永遠のいのちが与えられると聖書は教えています。秋の実りが終わって、私たちはこの愚かな者のように安心しようと言うのではなく、魂の死後のさばきに備えた、賢い生き方をしたいですね。そのためには、私たちの死後のさばきのために身代わりとなって下さったイエス様を信じて歩みたいと思います。

天の父なる神様、今日もこうして共に歌う会に集わせて下さり感謝します。イエス様は私たちが死んだ後もさばきのために備えて下さり、私たちはさばきを受けるべき罪人ですが、あなたが身代わりに十字架にかかって下さったことを覚えて感謝します。そして私たちのような本当に自己中心の罪人を招いて、私たちの罪をゆるし、永遠のいのちにあずかるようにして下さり感謝します。私たちは今日、あなたの招きに応えてあなたに頼り、あなたによって罪ゆるされ、永遠のいのちを与えられた者として、この地上を、死を恐れることなく、どんなことがあっても喜びと希望に溢れて歩む者とさせて下さい。