第6回ひたちなか市民クリスマス

 

 

 

あなたとクリスマス

 

 

 今日の箇所には、三つのタイプの人が出てきます。第一は、占星術の学者達です。彼らはイエス様の誕生を知って、遠くから遥々やって来ました。第二は、その知らせを聞いて不安を抱いたヘロデ大王とエルサレムの住民です。第三は、ヘロデ王の問いに答えた祭司長、学者達です。

 

 

 まず第二のタイプ、ヘロデ王やエルサレムの住民はなぜ不安を抱いたのでしょうか。当時ユダヤはローマ帝国に支配され、ヘロデ王はローマにとりいってその地位を得ていました。しかしその地位が脅かされようとしていたし、エルサレムの住民にとっても、領主が変われば今までの平和が崩れるかもしれないという不安があったからです。この話は、決して昔話ではないと思います。私たちは、自分の人生では自分が王様である、自分の行く道は自分で決め、自分で人生を切り開いていくのだという思いをもって生きていると思います。それは人間の自尊心として大切なことですが、それを明け渡すことができないと、人生に時々行き詰まるものです。ヘロデ王はその後、二歳以下の男の子を全部殺すという残虐な行為に走りました。私たちにも心の中で誰かを抹殺したい、こんな人がいなければいいのにという思いがあるかもしれません。私は中学生時代フルートを学び、音楽家になるのが夢でした。しかし新しい門下生が入ってくると敵がまた増えたと思い、誰かがコンクールで優勝しても喜べない、自分の心の中に敵意と不安がありました。ヘロデ王は、本当は私たちのためにお生まれになった救い主イエス・キリストを敵対者、自分の人生の邪魔者として受け取ることしかできませんでした。

 

 

 さて、エルサレムでは大きな神殿があったので、毎日のように礼拝がささげられ、旧約聖書がユダヤ人の会堂で朗読されていました。第三のタイプである聖書を研究する学者もおり、彼らは聖書の教えに従って生きることが人間の本当の幸せだと信じていました。ですから当然、聖書に預言されている救い主について学んでいました。皆さんは期待していたものが目の前に現れたら、きっと喜ぶと思います。しかし彼らはヘロデ王の質問に、淡々と聖書の言葉を口にしただけでした(5~6)。

 

 

 

 

  実は、イエス様の誕生を祝いにやって来たのは第一のタイプ、占星術の博士たちでした。彼らは不思議な星を見て、それを確かめに行こうと立ち上がりました。今と違い、長い旅をしなければなりません。そのためには十分な食料や金銭が必要です。関心のない人から見たら、それは道楽や冒険に見えたかもしれません。しかし彼らは、あえてそこに自分の人生をかけたのです。イエス様を信じるとは、ある意味で賭けや冒険のようなものかもしれません。クリスマスを本当に意味のあるものとして迎えるためには、この博士達のようにまだ見えないものを確信し、心の目でその豊かさを見て、信じて一歩踏み出すことが大切だと思います。

 

 

私は音楽高校への進学に挫折し、一年ぶらぶら過ごしている中で、姉の本棚にあった聖書をなんとなく手に取って読み始めました。そして私をつくられた神様がおられ、その方に出会った時、自分の悩みや夢が本当に小さなものだと思いました。また聖書にある、私(神様)のもとに帰れという言葉が、自分自身に語られているように思いました。

  

 

歴史はADBCというように、キリストの生誕の前後で区別しますが、BCBefore Christ)は、私たちの人生にもあるのではないでしょうか。今でも神様は一人一人に、キリスト以前の年に生きるのではなく、キリストと共にある一年一年を歩むことを願っておられます。

  

 

恵み深い天の父なる神様、私たちの人生の中で自分こそが人生の主人公であり、王であると誰もが思います。が、そう思う時に、自分の人生をあなたに対して明け渡すことのできない者であることを深く覚えます。またそれがために人生に行き詰まり、困難にぶつかり、失望し挫折を味わう私達です。どうぞ神様、あなたが遣わされた主イエス。キリストと真剣に向き合い、この方を心の中に迎えることができるように、私たちの心を開いて下さい。どうぞ喜びのない心の中に、あなたが喜びをお与えくださいますように。どうぞここにいる一人一人と共に、あなたのご降誕、クリスマスの時を心から祝うことができますように導いて下さい。(20161126日 第6回ひたちなか市民クリスマス  CRCラジオ牧師 山下正雄師)