私たちは20年前、東京におりました頃、ギデオンのメンバーになりました。ギデオンに入会してから聖書の読み方ががらりと変わり、生活も恵まれた生活になりました。
そして今、日立で我が家を月に一回若者に開放しています(ハッピー・セル)。
私たちが提供するのは、豪華な食事、聖書タイムです。ギデオンの聖書を使って15分聖書を読み黙想し、示されたことや変えられたことをありのまま紙に書いて話し合います。話したくない人は、パスしてもかまいません。そして三つの原則があります。その場で聞いたことは外に漏らさない、裁かない、しきらないということです。そしてお茶タイムです。これは時にロウソクで演出をし、雰囲気を楽しみます。食事からお茶まで大体4,5時間、時には夜半を超えることもあります。そこで私たちがいつも示されるのは、会を導くリーダーは神様だということです。ですから、いつでも祈って備えます。そしていつでも感謝と感動をいただいています。今日はその一端をお話しします。
まず2004年、茨大のバイブルリサーチのメンバーが月に一回、第二金曜日の夜、我が家に来てくれることになりました。その年は4人から8人になり、教派や学校の壁を越え、しかも半数はノンクリスチャンでした。翌年、私の所属する教会に来た茨キリ大の新入生が仲間を連れてきて、参加者が更に増えました。アルバイトで教会に行けないけれど、ここに来ると恵まれます、と言う学生もいました。13年間で145回、107人がこの集いに参加し、7人が受洗、4人が献身しました。また8組の家庭が誕生し、一人の二世が誕生しています。
彼らに自己流でもいいのでお祈りを勧めると、ノンクリスチャンであっても心を開いて祈ります。私はまず、信仰を恥としない若者の純粋さに感動しました。そしてこの集いは、本音で泣きながら語る場になりました。また、若い人たちが自主的に活動するようになりました。教会が質的にも変えられました。青年会が子どもたちとお泊り会を開いたり、毎月うどん作りをしていた壮年層が聖書タイムを持つようになりました。
メンバーの恵みについて公表はできませんが、私についてはお話できます。先日「わたしはぶどうの木、父は農夫である」の箇所を読んで、「枝は切り取る」というキーワードが与えられました。都会育ちの私はブドウの性質や育て方を知らなかったので、イエス様の語られた意図が全く理解できませんでした。そこでネットでその性質を調べたところ、大変驚きました。ブドウの木は、前の年に出た枝は4つか5つくらい残し、後は惜しまずすべて切る、しかも木の活動が止まっている厳しい寒さの頃にやるのだそうです。自分の役に立たない悪い芽は、私が眠っている時に神様が切り取って下さるのだ、朝目が覚めた時、前の晩には思いつかなかったアイディアがよく浮かぶのはこれだったのだ、と思わされました。
とは言え、いいことばかりではありません。お泊り会の活動は途絶え、茨キリの学生がここ数年来なくなりました。しかし神様は新しい変化を下さり、一時は消滅した聖書研究会が名称を変えて再出発し、先月のハッピー・セルに2人来ました。このように、神様は時に切り取ることがあっても、復活させて下さる方なのです。
天のお父様、教会が聖書の資金をささげ、働き人を送って下さり、またギデオンのために祈って下さいますから、私たちは教会の腕として、宣教の一端を担ってきました。パウロが宣教の旅を終えて真っ先にしたことは、協力して下さった教会への報告でした。今日またそのような機会をあなたが導いて下さって本当にありがとうございます。あなたが若者の心をとらえ、聖書に立ち返らせ、若者の人生を180度変えて下さいますから、私たちは希望を失うことはありません。人がどこから来てどこへ行くのか、明確に語っている聖書にこそ若者を惹きつける真理があります。どうぞ、ギデオンの目的である、一人でも多くの人にあなたの真理を伝える働きが全うできますようにお導き下さい。(日本国際ギデオン協会 石塚猛兄)
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