いっしょに歌おう 第66回

「線路は続くよ」、「おうま」、「上を向いて歩こう」、「恵みのひびきの」(福音讃美歌304番)、「故郷」を歌いました。参加者は9名でした。

 

 

 高山右近は大阪高槻の城主で、彼が治めていた国には25000人の領民がいたと言われています。そしてその25000人の領民の中で、18000人がキリシタンでした。彼らが無理矢理キリシタンになったのではなく、高山右近の熱心な、徳のある行動を見て、進んで入信したのだそうです。真田丸に登場した、細川ガラシャ夫人に信仰を勧めたのも高山右近でした。また、高山右近が活躍したのは豊臣秀吉の時代で、彼は秀吉からたいそう気に入られ、高槻の城主からもっと大きい、明石の地を任されるようになりました。

 

 しかし、このように順風満帆の人生を歩んでいた右近に、試練の時が来ました。秀吉がバテレン追放令を出したのです。それはキリシタンに禁教を迫るおふれでした。そして秀吉は、右近にもキリシタンをやめよと命じました。でも右近は、これを断固として拒否し、秀吉に6万石の明石の領地を返しました。しかし秀吉はあきらめず、右近の茶の師匠である千利休を右近のもとに遣わし、キリシタンをやめるように説得しました。それでも右近は、断固として信仰を捨てませんでした。そしてついにマニラに追放されましたが、そこでも熱心に信仰を守り続けました。「キリシタンをやめることに関しては、たとえ全世界を与えられても致さぬし、自分の救済に引き換えることはしない。よって私の身柄、俸禄、領地については、殿秀吉が気に召すよう取り計らわれたい」、右近はこのように秀吉に伝えたそうです。右近の「全世界を与えられても致さぬ」という言葉は、マタイ1626を意識して言っています。

 

 「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ1626

 

 右近は神様への信仰を、尊敬する秀吉や千利休の言葉より、また多くの領地より大切だと考えました。たとえ住み慣れた国内から追放されても、絶対に捨てられない、そういう価値のある信仰を持っていたのです。

 

この世のものは、必ずすたれてしまいます。私たちのいのちも同じです。しかし、信じることによって得られる「まことのいのち」は、私たちの死後も決して朽ちることがありません。ですから右近にとって信仰は、全世界を手に入れるよりも大切なものだったのです。今日は高山右近の生涯から、聖書の神様と共に生きる信仰は、この世の何ものにも代えることができないというお話をさせていただきました。

  

神様、全世界をたとえ手に入れたとしても、それよりも神様への信仰が価値あることだと言って、高山右近は信仰を選びました。私たちもそれを選ぶことができるように、導いて下さい。(武田遣嗣牧師)