感謝に溢れて次の一年へ 詩篇103篇1~5節

103篇
ダビデによる
1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。
2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
5 あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。(詩篇103:1~5)

 

 1,2節には、「ほめたたえよ」という言葉が繰り返されています。この「ほめたたえよ」には、二つの意味があります(讃美する、礼拝する)。作者ダビデの人生は紆余曲折でしたが、いつも神様をほめたたえました。本日は、私たちが神様をほめたたえるための三つのポイントをお話しします。

 

 第一は、神様の良くして下さったことを忘れないことです。旧約聖書の時代、イスラエルのリーダーに、モーセという人物がいました。彼は神様から命じられて、約束の地カナンへ旅をしました。しかしカナンへの道は砂漠のような荒野でした。その上、何十万人という人を導いていかなければなりませんでした。モーセは人々を導くために、主が良くして下さったことを人々に思い起こさせました。荒野は、見渡す限り石と砂が広がる過酷な場所です。しかしその中で主の恵みを感じつつ、モーセは次の地を目指していきました。私たちは今日、一年の終わりを迎えています。どんな一年だったでしょうか。順風満帆という人は少ないと思います。私たちの人生は、基本的に荒野を進んでいくようなものだからです。しかしその中でも、神様が私たちに与えて下さった恵みを数えることができる、というのが聖書の主張なのです。神様は、イスラエルの民を荒野で40年過ごさせ、信仰を育て。約束の地に導かれました。同じように、私たちも困難の中で恵みを数え、神様と共に乗り越えるのなら、その困難は将来、恵みにつながります。詩篇103篇に出てくる「ほめたたえる」は、踊る等元気よく神様を礼拝するというより、静かに心落ち着かせて神様を礼拝し、神様を讃美するというニュアンスがある言葉です。大晦日の今日、私たちは主の良くして下さったことを思い起す時間を持ちたいと思います。

 

 第二は、十字架の救いを感謝することです。神様はすべての咎、罪をゆるし、すべての病を癒して下さると書かれています。「病」とは特別な病気、罪の病を指しています。また、「すべて」は過去、現在、未来を指しています。イエス様の十字架はどのような罪もゆるして、私たちを天国へ導くことができるのです。主の良くして下さったことを、見つけられない方がおられるかもしれません。しかしイエス様の十字架のゆるしは最大の恵みであり、私たち一人一人に確かにあります。これは、私たちの生涯をかけてほめたたえるに値することです。来年も、御言葉と聖餐式を通して、十字架の救いを自分のものとして受け入れたいと思います。

 

 第三は、変わらない神様の恵みを受け取ることです。私の愛唱歌は、「幸い薄く見ゆる日に」(新聖歌)です。神学校在学中、失意に暮れていた時、友人が何気なくギターでこの曲を弾いてくれました。この歌の冒頭は、「幸せが全く見えない、孤独に悩む時に、私の恵みはあなたに十分だ、と語る静かな声を聞いた」という歌詞です。私たちが感情的になって、神様は私を見捨てた、私を嫌っていると思っている時、神様は静かな声で「私の恵みはあなたに注がれている」と語られるのです。「恵み」(4)は、ヘセドという言葉で、聖書の中で人が何度も神様を裏切ってもなお、人に注がれていた恵みのことです。私たちが一度、神様を裏切っただけで無くなってしまうような恵みではありません。神様の恵みは、どんな状況でも私たちに必ず与えられているものです。私たちが神様をほめたたえるために必要なことは、この神様の変わらない恵みを受け取ることです。

 

 これらのポイントは非常にシンプルですが、実践することで心から神様を讃美し、礼拝する者へと成長していくことができます。私たちは2017年が過ぎても、礼拝を日々の生活の中で最も大事なものとしていきましょう。また、来年度の目標は「ささげもの」です。奉仕や献金を多くすることが目標なのではなく、神様から常に与えられている恵みを感じながら、また神様をほめたたえながら奉仕や献金ができるように成長していきたいと思います。ここにいる一人一人の明日からの一年が、神様に祝福されますように。そして、私たちも神様をほめたたえることができますように。

 神がつくられたものは皆良いもので、感謝して受ける時、捨てるべきものは何一つありません。いろいろなことがあった2017年も終わります。幸い薄く見ゆる日もありましたが、神様の恵みはいつも注がれていました。主の恵みはとこしえまで。2018年、神様の恵みを十二分に感じながら、神様をほめたたえることができるようにお願いいたします。(20171231日礼拝 武田遣嗣牧師)