祈る教会と神の御業 使徒の働き12章1~5節

【新改訳2017】
12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祭りの時期であった。
12:4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。
12:5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。(使徒12:1~5)

 

本日はヘロデ王、ヤコブ、教会の三者に注目したいと思います。

 

まず、ヘロデ王はヘロデ・アグリッパ王とも呼ばれ、イエス様がお生まれになった当時の王、ヘロデ大王の孫に当たります。彼はローマ皇帝の歓心を買う政治を行い、領土を広げていきました。しかし領民(ユダヤ人)は、この外国籍の王を嫌っていました。そこでヘロデ王は、クリスチャンを嫌う多くのユダヤ人に取り入ろうと使徒ヤコブを殺し、さらにペテロを逮捕しました(23)。このようにヘロデ王は、人の歓心を得る才能を使って高い地位に上り詰めた人物です。金銭、地位、名声を持つこと自体は悪いことではありませんが、それが目的となる人生は、とても悲しいものではないでしょうか。ヘロデの最期は悲惨でした(1223)。彼が一生かけて積み上げたものが、虫の一噛みによって奪われてしまったのです。しかも最後の審判では、地上での功績は無関係です。私たちは神を信じているか、神を愛しているか、その心の有様によってさばかれます。私たちは、この世で何かを達成することに注視しすぎて自分の終わりについて考えない、ヘロデ王のような生き方をしてはならないでしょう。

 

 次に、ヤコブは教会のリーダーとして、日々熱心に福音を伝えていました。ヤコブは、世界中に教会が建っている姿を見たかったと思います。13章からは、アンティオキア教会によって世界宣教が始められるのですが、ヤコブはその実を見ることなく殺されてしまいました。なぜヤコブは死に、ペテロは救われたのか、これにはっきり答えることはできませんが、考えるヒントとして私たちが念頭におきたいことがあります。それは、神がこの世界の物語を執筆されておられるとすれば、私たちはその一頁であるということです。私たちの世代は、次世代に信仰を繋ぐことが神の計画(物語)の順序かもしれません。また、教会の人数を増やすこと以上に、教会全体で神の恵みや愛を体験する必要があるのかもしれません。この世界は個人主義に支配されています。個人がどういう功績を残したか、を考える時代です。しかしこれは、聖書を信ずる者たちの価値観ではありません。私たちは、神様の描く大きな計画があることを信じています。そしてその中で、神様が望んでおられる役割を忠実に果たすことが、求められているのではないでしょうか。私たちは、神様の計画に参与しているというイメージを持って、神様に託されたところまでをやる、という謙遜な歩みをしていきましょう。

 

 最後に、祈る教会を見ていきましょう(5)。実はペテロは一度、神様に牢屋から助け出されています(519)。でも今回はわかりません。16人の兵士が彼を監視し、ヤコブは殺され、ペテロだけが助かる見込みはほとんどありませんでした。しかし教会は、絶体絶命の中で祈りを続けました。

 

 さて、三者のエピソードはすべて繋がっています。ヘロデは政治に人間関係を巧みに利用し、高い地位を得ました。しかし彼の欲は留まることを知らず、神の使徒ヤコブを殺しさえしました。一方、ヤコブは自分の働きの成果を見ずに死にました。しかし、天の御国で神様に喜ばれたのは、ヤコブの生き方でした。彼は、神の計画の中を忠実に歩んだからです。私たちは神の御心をいつもたずね求めて、自分がすべき役割の中に生きているでしょうか。私たちは、どうやって自分の役割を見出すでしょうか。そのために必要なことは、祈りです。教会は神を待ち望んでいました(5)。教会は、事を達成するのは自分たちではなく、神であるという確信があったのです。個人主義の波の中、私たちには達成感に満足する誘惑があります。しかし私たちは協力して、神の物語の完成を助けるように示されているのです。今日は総会があります。教会、個人に与えられている役割とは何か、謙虚に受け止めて実行する一年を歩みたいと思います。

 

 天の父なる神様、あなたはすでに大きな計画(物語)を描いておられます。私たちには、それを助けていくことが求められています。私がやらなければと思うことは大変良いことですが、神の計画を無視したり、自分の誇りのため大義名分として神の奉仕をすることがないように、どうぞあなたが共にいて下さい。礼拝後の教会総会も、あなたが祝福して下さい。(2019127日礼拝 武田遣嗣牧師)