待ち望む祈り 使徒の働き12章6~17節

【新改訳2017】
使
12:6 ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。戸口では番兵たちが牢を監視していた。
12:7 すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
12:8 御使いは彼に言った。「帯を締めて、履き物をはきなさい。」ペテロがそのとおりにすると、御使いはまた言った。「上着を着て、私について来なさい。」
12:9 そこでペテロは外に出て、御使いについて行った。彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思っていた。
12:10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。彼らは外に出て、一つの通りを進んで行った。すると、すぐに御使いは彼から離れた。
12:11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」
12:12 それが分かったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。
12:13 彼が門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが応対に出て来た。
12:14 そして、ペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、ペテロが門の前に立っていることを知らせた。
12:15 人々は彼女に「あなたは気が変になっている」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。それで彼らは「それはペテロの御使いだ」と言った。
12:16 だが、ペテロは門をたたき続けていた。彼らが開けると、そこにペテロがいたので非常に驚いた。
12:17 ペテロは静かにするように手で彼らを制してから、主がどのようにして自分を牢から救い出してくださったかを彼らに説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言った。そして、そこを出て、ほかの場所へ行った。

 

 今日は、待ち望む祈りができる恵みについて、共に学びましょう。

 

まず、教会はなぜ祈っていたのでしょうか。それはリーダーであるペテロが、牢に入れられたからです。人間の目には脱出不可能な状況下、教会ができることは神様の奇蹟が起きるよう、ひたすら祈り続けることだけでした。原文から、この祈りが継続的、積極的なものであることがわかります(5)。一方、ペテロは眠っていました(6)。人間的な視点で見れば、ペテロの命はヘロデ王に握られていますが、この世界を治める神がいるという視点で物事を見るなら、ペテロの命を握っているのは神です。だからペテロには、この絶体絶命な状況で平安が与えられていたのだと思います。ペテロも教会も、神を待ち望んでいました。自分の力ではどうしようもない時、私たちは神を待ち望むことができます。どんな場合でも、神の逆転が起こり得ると期待できます。実際、ペテロは牢から救い出されることになりました(710)。

 

 11節のペテロの言葉から、二つのことがわかります。第一は、ペテロが気づく前から神は働いておられたということです。彼は、脱出してから自分に神の奇蹟が起こったことを悟りました。私たちは、祈っても目に見える結果がなくて絶望する時、神様はすでに大きな計画を持っておられ、着々と働かれていることをイメージし、待ち望む祈りをしていきたいと思います。第二は、神様は迫害にさらされているクリスチャンを放ってはおかれないということです。ペテロが投獄されたのは、クリスチャン故の迫害です。日本でも神様を信じているだけで、家庭や社会から小さな迫害を受けることがあります。私たちが悪意を向けられている中で人と神を愛して生きようとするには、神を待ち望む姿勢が不可欠ではないでしょうか。

 

 さてペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に行きました。しかし人々は、応対に出たロデの報告に疑いを持ちました(1315)。教会の人々は、ペテロが救出されることを祈っていたはずでしたが、彼の救いを信じることができなかったのです。熱心に祈り続けた教会も、完全な信仰を持っていたわけではありません。一人一人は乏しい信仰でも、集まることで何とか神に祈る続けることができたのです。また当時、一部のユダヤ人の中で、一人一人の人間に御使いがつくという迷信がありました。そこで人々は、牢に入っているペテロが帰ってこられるはずはない、ペテロに似た御使いが帰ってきたのだろうと考えたのです。これは、全く聖書的な考え方ではありません。このように当時の教会は完全な信仰を持っているわけでもなく、聖書の知識も不十分でした。しかし弱い者たちが集まって祈ったことで、祈りが神に聞かれたのです。

 

 皆さんは、神を待ち望んでいるでしょうか。私たちは、ペテロが牢から脱出するような「不可能」を、神に祈っているでしょうか。教会はペテロが脱出するイメージを持つことができないまま、それでも祈っていました。するとそこに人間の理解を超えた、神の御業が起こったのです。どうすれば解決に至るかわからない問題があっても、私たちはまず待ち望む祈りから始めましょう。そしてその祈りを継続しましょう。そして集まって祈ることも、継続して祈ることができた要因ではないでしょうか。私たちは、益々祈る教会として成長していきましょう。神への祈りは不可能を可能にし、私たちの信仰生活を励ますものです。

 

 天の父なる神様、待ち望む祈りについて教えていただき、ありがとうございました。神様、ここにいる一人一人が今、祈るべき祈祷課題は何でしょうか。信仰が自分自身に与えられますようにという祈り、教会のために働き手を送って下さいという祈り、また、自分が罪の鎖から解き放たれますようにという祈りかもしれません。主よ、どうぞそれぞれに必要な祈りを示して下さい。そして私たちが教会の兄弟姉妹を愛し、互いに祈り合い、とりなし合うことができるように、そのような集まりとして下さい。(201923日礼拝 武田遣嗣牧師)