キリスト・イエスにあって一つ 使徒の働き13章1~3節

【新改訳2017】
使
13:1 さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。
13:2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。
13:3 そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。

 

 今日は二つのテーマ(①アンティオキア教会の多様性、②アンティオキア教会の一致)について共に学びましょう。

 

 1節に挙げられている5名は、アンティオキア教会の主導的立場にある人々です。彼らを見ていくことによって、この教会にどれだけ多様な面々が集まっていたのかがわかります。

 

まず、バルナバは人をまとめる、一致させる賜物がありました(92728)。アンティオキア教会は、エルサレム教会と違って国際色豊かで、様々な文化を持つ人たちが共存していた教会です。集団に一致を与え、外から来た人たちを快く受け入れる賜物を持つバルナバは、教会に必要不可欠な存在でした。また、パウロとの伝道旅行で最初の行き先はキプロス島でしたが(134)、キプロス島出身のバルナバは、島の人々にとって最もふさわしいかたちで福音を語ることができたでしょう。このように、神様は人の特技や性格だけでなく、育った環境をも用いられるお方です。

 

 次に、ニゲルと呼ばれるシメオンですが、ニゲルとは黒い肌という意味です。おそらく、シメオンはアフリカ人だったと言われています。アフリカから遠く離れたアンティオキアで、シメオンが教会のリーダーの一角を担っていたということは、驚きではないでしょうか。おそらく、シメオンが教会の中核にいることで、今まで教会に受け入れられなかった人々が教会に集えるようになったかもしれません。このように、教会にとって異分子と思われるような人たちが集うことによって、新しい救いが生まれる可能性があるのです。

 

 ルキオがクレネ人であったことは、意味があると思います。アンティオキア教会創設のきっかけとなったのは、クレネ人の伝道でした(111920)。アフリカにルーツがある彼はエルサレムで福音に接し、エルサレムの教会に集うようになりました。しかしステパノの死によって起こった迫害によりエルサレムを追い出され、クリスチャンがまだいない町、アンティオキアでイエス。キリストの福音を宣べ伝え始めました、それに耳を傾けた現地の人々がイエス様を信じ、教会が建ち上がっていった、そういうストーリーがあった可能性が高いです。この、絶望の中で神に希望を見出し続けたルキオの証は、どれだけアンティオキア教会の人たちの励ましになったでしょうか。ルキオほどでなくても、長い信仰生活を送ってきた人には、他のクリスチャンを励ます証があります。

 

 最後に、マナエンは領主ヘロデの乳兄弟だったと書かれています。このヘロデは12章のヘロデ王とは別人で、ヘロデ・アンティパスと言います。マナエンは、領主ヘロデの子どもの友人として一緒に育ちました。ですから、広大な王宮で高い教育を受けた、身分の高い人だったと推測できます。アンティオキア教会にはいろいろな身分、国の人たちが集っていますから、マナエンのような身分の高い人は普通なら寄りつかない筈ですが、神様が彼をアンティオキア教会に呼ばれたのだと思います。そして彼は、身分の高い人にも福音を伝えることができたでしょう。神様は身分をも用いられます。彼にしか福音を伝えることができない人がいたはずです。

 

 このように、アンティオキア教会は身分、国籍、賜物の異なる人々が共存していました。そして、その多様性が神様に用いられていたのです。教会には無駄な人はいません。私たちは互いによく知って、それぞれに託されている賜物がよりよく用いられていく、そういう教会を目指したいと思います。私たちは互いの違いを愛し、ゆるしあうことによって、主の御心にかなった働きをすることができるのではないでしょうか。

 

 さて、アンティオキア教会は大きな決断をしました(23)。多様な文化を持つ人たちが大きな決断をするのは、非常に難しいです。しかしアンティオキア教会は、主の御言葉を待ち望む姿勢によって、一致した決断をすることができました。現代社会では、どんな集まりでも意思決定の速さが大切ではないでしょうか。しかし教会は、それにとらわれすぎてはいけないでしょう。祈りと御言葉によって、神のこたえを待ち望む姿勢が大切です。聖書は、神の判断を待つことができずに罪を犯してしまった人(サウル王、アロン)を描いています。

 

再び1節を見ると、この5名は皆預言者や教師だったことがわかります。この教会は、御言葉に携わっている人たちがリーダーでした。アンティオキア教会がどれだけ御言葉を中心にすえていたのかがわかります。私たちは教会の多様性を認めながらも、御言葉の真理を待ち望むことに一切の妥協をせず歩んでいきたいと思います。

 

最後に、①私は多様性のある教会を愛しているか、②私は御言葉から御心を求めているかについて、思い巡らしたいと思います。

 

天の父なる神様、救われる価値のない私たちを愛し、救って下さったことをありがとうございます。ここにいる一人一人は、神様に選ばれた者たちです。神様によってここに集っています。どうぞ、私たちが互いに愛し、それぞれの存在を喜ぶことができますように。違いを拒絶するのではなく、違いを愛する教会として成長していけますように。また、私たちが御言葉によって御心を求めることができるようにして下さい。ガラテヤ人の教会には、行いによる救いを主張する人たちがいましたが、御言葉の真理にぶれることなく、イエス・キリストにある信仰だけを信じて歩んでいけるように助けて下さい。(2019217日礼拝 武田遣嗣牧師)