第97回童謡・唱歌・賛美歌を歌う会

「虫のこえ」、「どんぐりころころ」、「大きな栗の木の下で」、「すべての人の心に花を」、「主われを愛す(讃美歌461番)」、「ふるさと」を歌いました。参加者は4名でした。

那珂湊では台風19号の影響で川の水が溢れた地域がありましたが、今日は通常の生活に戻っていました。ただ、海浜鉄道の乗客はとても少なかったです。今日は武田晴子姉妹が、常総市で台風に遭遇したときの体験などを語って下さいました。

 

 

皆さんこんにちは。

 

那珂湊キリスト教会の武田晴子です。出身は神奈川県の伊勢原市、3年前からひたちなか市に住み始めました。今は学習塾で働いていて、小学生、中学生に勉強を教えています。こちらに来る前は、茨城県常総市にあります、障がい者の入所施設で働いていました。今日は当時経験したこと、そして今回の台風によって教えられたことをお話ししたいと思います。

 

 

 

2015年9月10日、みなさんはこれが何の日かご存知でしょうか。茨城県常総市の鬼怒川が決壊した日です。北関東や東北を豪雨が襲い、中でも茨城県は死者二名、3000戸以上が浸水しました。住民が屋根からヘリコプターで救助される様子がテレビなどで注目を集めました。

 

当時私は社会人2年目で、常総市水海道に一人暮らしをしていました。川が決壊した日の朝、私はいつも通り出勤、決壊直前の鬼怒川を何も考えずに渡り、職場に着きました。いつもの雨か、と。しばらくすると、これはただの大雨ではないことが分かり、事務所は欠勤する職員の対応、水害の状況の整理、今後のご利用者の対応に追われることになりました。

 

鬼怒川を渡る橋は全て通行止め、私は家に帰る道が全て閉ざされ、帰れなくなりました。職場で一晩を過ごし、翌日以降は当時通っていた教会の牧師先生のお宅に泊まらせていただけることになりました。まさに着の身着のまま、お金も、持ち物も、ほとんどない状態でした。家族も近くにいない、頼れる人が近くに居なかった状況の中で、そのように受け入れて下さるご夫妻がいたことは本当に感謝なことでした。

 

ただ、その状態で牧師宅から予定通り出勤する、ということは正直とてもつらいことでした。なぜなら家にいつ帰れるか分からない。被災者の身でありながら仕事はいつも通り、いやむしろこの非常事態です。施設もいつも通りとはとても言えない状況で、精神的にも体力的にも追い込まれていたと思います。

 

後日、橋の交通規制が解除され自宅に向かう途中、目にした光景はすさまじいものでした。冠水した道路に乗り捨てられた車は数えきれず、浸水して閉店、休業中の店、水の力でゆがんだガードレール。家賃を支払いに不動産会社に行くと、倉庫の中で営業していました。

 

それを目にして初めて、今回の水害がどれほど多くの被害を及ぼすものだったのかを知り、とてもショックを受けました。

 

それと同時に、次の聖書の言葉を思い起こしました。「草は枯れ、花はしぼむ。だがわたしたちの神の言葉は永遠に立つ。」この言葉は、この地上にあるものは必ず滅びる。でも神様の言葉は永遠に変わることがない、という意味です。強固な建造物が一時の災害によってあっけなく滅びるさま。でもこの状態になっても、神様が私たちに与えてくださる約束は変わることがない。その神様をただ信じていればいい、何も恐れることはない、と教えられました。聖書に書いてあることは真実であると、そのとき強く感じました。

 

 

 

アパートにたどり着くと、ライフラインは全滅。水、デンキ、ガス、すべて止まっていることが分かりました。幸い6階建てのアパートの4階に住んでいたので浸水はありませんでした。その後、私が自宅に帰って日常を取り戻したのは水害があってから3週間後のことでした。

 

 

 

そしてあれから4年経った現在、台風19号によって広い地域で水害が起こっています。おととい、夫を水戸駅に送った帰り、畑が川になり、冠水した道路を目にしました。4年前水害の光景や追い詰められた心情が思い返され、鼓動が早くなり、心が苦しくなりました。どんなに回り道をしても通行止めにあい、このまま家に帰れないかもしれないと思ったからです。いつも悲観的になってしまう私の悪い癖です。

 

でもその時のこと、車で流していた賛美から、「恐れないで、ただ信じていなさい」というみことばが耳に入りました。それを聞いた時、4年前の苦しかった想いではなく、神様をただ信じていればそれでいいということを思い出しました。この世の全てが滅びても変わらない神様のことばに従うのだから、なにも心配はいらないのだともう一度教えられたのです。

 

終わりになりますが、わたしはクリスチャンとしてまだまだ未熟で、すぐ目の前の状況だけにとらわれていろんな心配をしてしまいます。ですがきっと窮地に陥るたびに、この出来事を思い出すのだと思います。ただの辛い、思い出したくない出来事ではなく、神様への信仰を新たにされた尊い出来事として思い出し、それを周りの人に伝えるものとして整えられて行きたいと願っています。