【新改訳2017】
ヨハ
11:17 イエスがおいでになると、ラザロは墓の中に入れられて、すでに四日たっていた。
11:18 ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほど離れたところにあった。
11:19 マルタとマリアのところには、兄弟のことで慰めようと、大勢のユダヤ人が来ていた。
11:20 マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で座っていた。
11:21 マルタはイエスに言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかし、あなたが神にお求めになることは何でも、神があなたにお与えになることを、私は今でも知っています。」
11:23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
11:24 マルタはイエスに言った。「終わりの日のよみがえりの時に、私の兄弟がよみがえることは知っています。」
11:25 イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
11:26 また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」
11:27 彼女はイエスに言った。「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」
11:28 マルタはこう言ってから、帰って行って姉妹のマリアを呼び、そっと伝えた。「先生がお見えになり、あなたを呼んでおられます。」
11:29 マリアはそれを聞くと、すぐに立ち上がって、イエスのところに行った。
11:30 イエスはまだ村に入らず、マルタが出迎えた場所におられた。
11:31 マリアとともに家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリアが急いで立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、ついて行った。
11:32 マリアはイエスがおられるところに来た。そしてイエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、
11:34 「彼をどこに置きましたか」と言われた。彼らはイエスに「主よ、来てご覧ください」と言った。
11:35 イエスは涙を流された。
若者の間で「神対応」という言葉が使われていますが、これは、お客さんにとても丁寧な対応をするという意味だそうです。その語源は諸説ありますが、あるアイドルがファン一人一人にとても配慮のある対応をしたのに対し、誰かが「神対応だ」と言ったのが始まりなのだそうです。本日の聖書に書かれているのは、本物の神の対応です。神であるイエス様が悲しんでいる人に対し、神にしかできない、すばらしい対応をしたのが今日の箇所です。
2000年前のイスラエルに、マルタとマリアという姉妹がいました。彼女たちはつい4日前、愛する弟を亡くし、言葉にできない悲しみに打ちひしがれていました。二人はイエス様に、同じ言葉で話しかけています(21,32)。しかしイエス様の答えはそれぞれ違っていました。
マルタには、力強い神様のことばで励ましています(25,26)。もし人間がこのように言ったら、詐欺師だと思われるでしょう。これは、神様にしか言えない励ましではないでしょうか。この世界には、死なない人間はいません。聖書には、私たちの内側にある罪の結果が死だと書かれています。人はしたくない悪を行ったり、高慢になったりします。良心に反することでもやめられない、ということが人生に何度もあったのではないでしょうか。即ち、私たちは自分の心の罪を自分で取り除くことは、絶対できないのです。だから、イエス様は2000年前十字架にかかり、人の罪の身代わりとなって死んで下さいました。聖書で言っているのは、私たちのために苦しみ、悲しみ、恥を耐えて下さった方が私たちの神であるということです。そしてこの神様は3日目によみがえって、今日も私たちを心から愛しておられます。「わたしはいのちです」は、神であるイエス様でしかマルタにかけることができない励ましでした。
一方、マリヤには傍で涙を流されました(32~35)。イエス様は、世の権力者に対し恐れが全くなく、正しいことを言われました。しかし同時に、弱っている人や傷ついている人には、いつでも近づいていけるような親しみがありました。これはイエス様が神であり、人であるからではないでしょうか。イエス様は天にかえられた後、今も人としての性質を持っておられます。だから、私たちの苦しみや悲しみをわかって下さいます。
神であり人である、これを矛盾だと言う人もいるでしょう。私たちは、人間が理解できる神様を求めてしまいがちです。しかし人間サイズの神様が、私たちを救うことができるでしょうか。果たして、私たちにいのちを与えることができるでしょうか。その神様は私たちに、力強い神のことばと涙の助けを与えることができるでしょうか。ここにいる一人一人に、神であり人となられたこのお方の助けが豊かにありますように、お祈りします。
天の父なる神様、この世界を創造された神様が、ここにいる小さい私たち一人一人のために涙を流して下さる、その恵みははかりしれないものです。神様、私たちには真理の助けと同時に、涙の助けが必要です。どうぞ、ここにいる一人一人に、イエス様の完全な助けがありますように。(2019年11月10日礼拝 武田遣嗣牧師)
☆本日はオープンチャペルで、14:00から宮田四郎兄、内田純子姉のコンサートが行われました。参加者は約60名でした。
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