良い知らせを伝えよう マタイの福音書28章16~20節

 

新改訳2017

 

マタ

 

28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。

 

28:17 そしてイエスに会って礼拝した。ただし、疑う者たちもいた。

 

28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。

 

28:19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、

 

28:20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

 

 

 11人の弟子たちは、復活されたイエス様を見、ひれ伏して礼拝をささげました。礼拝とは、真の神を自分の主とすることです。弟子たちはイエス様の死の直前まで、誰が一番偉いか言い争っていました。それまで彼らの神は、彼ら自身だったのです。しかし弟子たちが高慢になる中で、イエス様は謙遜なお方でした。イエス様はすべてを捨てて十字架にかかり、よみがえられたのです。それを見た弟子たちのプライドは打ち砕かれ、真の主を礼拝する者へと変えられていきました。17節の「会って」ということばは、「見て」と訳されることが多く、弟子たちは山の上でイエス様と一言二言話してから礼拝したのではなく、まだ遠くにいるイエス様を見るなり、礼拝したのではないかと思います。

 

 そんな弟子たちに、イエス様は近づいて来られました(18)。私たちにとって大きな恵みは、イエス・キリストが偉大な神様であり、親しみやすい人であるということです。イエス様は、罪人である私たちが遠く離れなければならないほど聖く、力に満ちた神様ですが、同時に私たちに近づいてきて下さり、私たちと一緒に人生を歩んで下さる、親しみのある人としての性質を持っておられます。イエス様は神であり人である、これは矛盾ではなく、信じる者には恵みなのです。

 

 そして伝道は、神であり人であるイエス様が私たちと共におられるからできる、ということを覚えておきたいと思います(19,20)。19節は「ですから」という接続詞で始まっています。私たちが伝道をする理由は18節に書かれています。イエス様は神様ですから、この世界すべてを従わせる力を持っておられます。その方が私たちに近づいて共に歩んで下さる、だから私たちは伝道ができるというのです。

 

 前後しますが、「疑う者もいた」(17)は、気になることばではないでしょうか。恐らく山の上には11人の弟子以外にも人がいて、その何人かがイエス様の存在を疑っていたと思われます(281115)。

 

 19,20節では、三つのこと(弟子としなさい、バプテスマを授けなさい、教えなさい)が命じられています。このうち最も強調されているのは、弟子としなさいということばです。伝道のゴールは、弟子となることにあります。弟子とは、みことばにとどまっている者(ヨハネ831)、愛し合う者(ヨハネ1335)です。ですから、私たちは一人で弟子になることはできません。兄弟姉妹の愛の関係の中で弟子になっていく、というのが聖書の教えです。マタイの福音書に見られる「弟子としなさい」は動詞ですが、このことばは使徒142122にも見られます。パウロはクリスチャンを増やすことに集中していたように思いがちですが、彼の最終目標も弟子とすることでした。そして一度宣べ伝えたところに戻って、また弟子たちを教えました。パウロは、クリスチャンが真の弟子となっていくために、何度も教えていたことがここでわかります。

 

 では、弟子となるためには、どうしたらいいでしょうか。前述したように、みことばが語られ、兄弟姉妹の愛の関係がなければ、達成できないでしょう。そしてこの信仰の道を何度もことばと行いで教えてくれる兄姉がいなければ、成り立ちません。つまり、伝道は一人ではできないのです。私たちは互いに励まし合い、協力する教会でありたいと思います。

 

 「神が共におられる」(20)は、マタイの福音書で最も重要なキーワードではないでしょうか。この福音書は「神が共におられる(インマヌエル)」というメッセージで始まり、イエス様のことば、「いつもあなたがたとともにいます。」で終わっています。この福音書は特にユダヤ人に向けて書かれたと言われています。ユダヤ人は神様を信じていましたが、彼らには神様は遠い存在であり、個人と共に歩んで下さるとは考えていませんでした。そんな彼らが目を覚ますことができるように、マタイは「神は共におられる」を力強く主張しました。私たちは主の臨在を覚えつつ、福音を宣べ伝えていきたいと思います。

 天の父なる神様、御名を崇め讃美いたします。今日、私たちの伝道には、神なる主が私たちと共にいて下さることを知りました。私たちが礼拝を守っている那珂湊の地域で、あなたの御名が崇められますように。すべての人が自分ではなく、真の神様を主とする恵みに与ることができますようにお願いいたします。(2020112日礼拝 武田遣嗣牧師)