フェルメールが描いた二人の姉妹 ルカの福音書10章38~42節

 

【新改訳2017

 

ルカ

 

10:38 さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。

 

10:39 彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。

 

10:40 ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」

 

10:41 主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。

 

10:42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

 

 

 「迎え入れる」(38)という言葉は、原語では「お客を楽しませる」という意味が含まれています。つまり、マルタはただ飲み物を出してイエス様のお出迎えをするのではなく、イエス様に満足してもらうためにあらゆることをしようとしていたのです。マルタはイエス様を家に招いて、大急ぎで準備を始めました。一方、マリヤは真剣にイエス様のみことばを聞いていました。彼女はサボっていたわけではないと思います。マリヤなりの、ゲストへのおもてなしだったかもしれません。「主の足もとに座って」(39)は「主の足もとに座らされて」とも訳すことができます。つまり、マリヤはイエス様に言われて、またはイエス様のお気持ちを察して、イエス様の足もとに座ったと言えます。

 

 二人のおもてなしに対し、イエス様は優劣をつけてはいません。しかしマルタはマリヤと比較して、私だけもてなしていると言いました。彼女は他人と比較して、自分のほうがより頑張っているということを、イエス様に認めさせたかったわけです。そんなマルタに対し、イエス様はやさしく語られます(41)。ここでイエス様は、マルタに親しみをこめて二回呼んでいます。イエス様は、決して高飛車な態度をとったマルタを怒っているのではありません。そして必要なことは一つだけだと仰いました。それは、神様との愛の関係だと思います。これは、すべての人間が心の底で渇望しているものです。神様は、あなたが何かできるとか、できないとかに関係なく、あなたを愛して下さっています。人間の愛は「だからの愛」、条件付きの愛ですが、神様の愛は「だけどの愛」、無条件の愛です。この無条件の愛は、キリストの十字架に最もよく表されています。イエス様は人の罪の身代わりとして十字架で死に、私たちの罪をゆるす道を開いて下さいました。皆さんのために死ぬことができるほど愛しておられる方が、私たちの真の神様なのです。クリスチャンは愛されているが故に人を愛し、賛美や献金をささげます。決して愛や尊敬を得るためではありません。私たちはすでに愛されているからです。

 

 次に42節に注目したいと思います。『新改訳』だと、「マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」と訳され、イエス様がマルタを叱っているような印象を受けます。それに対し、より原典に忠実な『新改訳2017』では、「マリヤはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」と訳されています。新しい版では、マリヤと神様との愛の関係が永遠に取り去られないのだということを表しています。即ち、イエス様はここでマルタを叱ってはいないのです。むしろマルタを、永遠に失われない愛に招いていると読んだほうがいいでしょう。私たちも今日、神様から愛をいただいて、永遠に尽きることがない愛を原動力にして生きる生き方に招かれています。

 

 ここで、フェルメールがこの絵を描いた時の状況についてお話ししたいと思います。彼は最初、キリスト教絵画を専門にしていましたが、キリスト教絵画があまり売れず、貧しかったと言われています。当時は、庶民の生活を描く風俗画が流行っていました。この絵はキリスト教絵画ですが、風俗画の要素が隠れています。例えば、マルタが持っているパンはフェルメールが生きていた頃、母国オランダでよく食べられていたものだそうです。彼は自分が風俗画も描けることをアピールして、貧しさから抜け出そうとしていたのかもしれません。また不遇な生涯の中で、彼自身が神の愛を失わないようにこの絵を描いたのかもしれません。

 

イエス様が、マルタを見つめる目はなんと優しいことでしょう。「あなたも一緒に座りなさい。沢山働く前に、私の愛を受けなさい」とマルタを、フェルメールを招いているようです。

 

 今日初めて来られた方、久しぶりに来られた方、神様はあなたも愛の関係に招いておられます。是非毎週の礼拝に集ってください。礼拝は御言葉をいただき、讃美を捧げるこのコミュニケーションの中で神様に出会う場です。求めるなら神様は愛と救いを与えてくださいます。また午後に奉仕をしてくださる兄弟姉妹達、私達はキリストの愛を原動力にして奉仕ともてなしをしましょう。すでに受けた愛を喜んで、私ではなく神様だけがあがめられる、そんな一日にしたいと思います。一言お祈りします。

☆本日はトリオ・グラシアの皆さんをお招きして、オープンチャペル・コンサートを行いました。