キリストにあって一つ エペソ人への手紙1章3~14節

【新改訳2017

エペ

1:3 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

1:4 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。

1:5 神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。

1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

1:7 このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。

1:8 この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ、

1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、

1:10 時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。

1:11 またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。

1:12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。

1:13 このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。

 

1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。

 私がクリスチャンになって、27年が過ぎました。クリスチャンになったきっかけは、中国留学で出会った3人の方との出会いです。一人は家内で、彼女は当時武漢大学の学生で、宣教師による聖書クラスに参加していました。二人目は家内の恩師で、武漢大学で日本語を教えていました。三人目は、アメリカの日本人教会で牧会していた方で、私は武漢でこの方々と出会うことにより、人生が180度変わってしまいました。そして60歳になった時、神学校に進み、昨年卒業しました。エペソ人への手紙を書いたパウロも、彼が60歳頃のことであろうと言われています。

彼の人生を振り返ると、熱心なユダヤ教徒だったのに、30歳前後でイエス様と出会いました。そしてパウロに与えられたキリストの光は、エペソの教会の人々にも与えられ、彼らの人生を転換させました。エペソでは多くの異邦人が偶像崇拝をしていたのですが、パウロの約2年半の伝道により教会が建てられました。勿論、神が背後に働いておられたからこそ実現したのです。

一方パウロは、キリストの愛がエペソで伝えられたのは、神が以前から計画されていたことだと言いました。パウロの視点は天地創造にまで及んでいました。そして、キリストがエペソ人を選んだ目的は愛です。教会の愛のわざは地域の住む貧しい人に食べ物を分け与える、病に苦しむ人に付き添い励ます、ツアラートに罹った人を回復させ社会復帰させる、取税人や娼婦のような人たちを同じ人間として差別なく交わりを持つ、こうした究極の愛は、すべての人の罪のために贖いとして十字架にかかったイエス様の姿に表されています。

「奥義」(10)はギリシャ語では「ミュステーリオン」と訳され、秘義とか秘密と注記している聖書もあります。つまりパウロは、キリストの十字架は人間にははかり知ることのできない神の秘められた計画だと言うのです。それはイスラエルの民に啓示され、イスラエルのみでなく全人類の救済計画でもありました。イスラエル民族は、神の民として神の救いを全人類に伝える使命があったのですが、その使命を見失い、独善的になってしまいました。しかし彼らに対し神様は、ご自身の意思を十字架によって示されました。それはキリストの支配下に、神と人とが一つになることでした。十字架は、神が人間に示された愛のわざです。人が神の支配に立ち返り、神との関係を回復することがその目的でした。

神は人間を神の御姿につくられ、神の息を吹き込まれました。それは人間を神の代理者として、被造物を管理する役割を与えたということです。ところがアダムとエバによる神からの離反によって神と人間、人間と人間との間に歪みが生じました。そして被造物全体の歪みは戦争、自然破壊、差別なども生み出しました。そんな悲惨な状況を回復するために、神は人間をキリストの支配の下に集め、一人一人がことばと行いにおいてキリストと一体になり、教会に集められてキリストのからだとして一体になる、このように神はその秘められた計画を実行されたのです。

個々のクリスチャンには様々な賜物が与えられていますが、根底にあるのはキリストの愛です。「御国を受け継ぐ」(11)とは、キリストがこの地に引き寄せた神の国の相続人としてその財産を管理し、引き継いでいくことです。神はそのためにキリスト者に聖霊を与えて下さいました。聖霊はキリストの愛を証し、実践するために与えられた神の恵みと言えます。私たちは神から与えられた財産を大事に育てていく使命があります。

パウロが伝道活動を通して伝えたのはキリストの愛でした。私の信仰生活は27年が過ぎました。この27年を振り返って、パウロの人生と重ね合わせた時、どれほどキリストの愛を証しているか問われるところです。皆さんはどのようにキリストの愛を伝えておられるでしょうか。

 

神様、今日は那珂湊の教会の方々と共に礼拝をささげられたことを感謝します。私たちはそれぞれ神様から与えられた賜物があります。それぞれ違いがあっても、その中にイエス様の愛による救いを覚えます。またそれぞれの教会に個性の違いがあっても、その教会がイエス様の愛によって建てられていることを覚えます。私たちがキリストにあって一つ、それをイエス様の愛によって常に覚えていけるようお導き下さい。(小川キリスト教会石井祐司牧師)

☆本日は水戸地方講壇交換で、小川キリスト教会の石井祐司先生が奥様の詩華姉と来訪され、メッセージを取り次いで下さいました。また、武田牧師は石岡キリスト教会と岩瀬キリスト教会でご奉仕に当たりました。