第105回童謡・唱歌・讃美歌を歌う会

「赤とんぼ」、「七つの子」、「故郷の空」、「四季の歌」、「罪とがをゆるされ(聖歌232番)」、「ふるさと」を歌いました。参加者は8名でした。

 

関西(兵庫県)在住時、私は茨城に一度も行ったことがありませんでした。でも、なぜか小学生の頃、水戸黄門が大好きでした。旅行先に水戸黄門の印籠があると母に買ってもらい、よく水戸黄門ごっこをして楽しんでいました。しかしこのブームは小学生まででした。ある一つの疑問が湧いたからです。印籠をもっと早く出したら、早く事件が解決するのにと思ったのです。この疑問を大人にぶつけると、そんなことをしたらドラマが早く終わってしまうでしょ、と言われたことを覚えています。現在は、ぎりぎりまで印籠を出さない光圀が素敵だなと思うようになりました。もし光圀が印籠を出したまま街を歩くなら、権力を持った偉そうな人でしかありません。しかし印籠をぎりぎりまで出さないで、できるだけ庶民と同じ感覚で旅をしたい、そんな光圀の謙遜な姿が素晴らしいと思うようになったのです。

聖書も、謙遜に生きる大切さを記しています。

「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」(ルカ1814

自分を高くするとは偉そうにする、他の人を下に見ることで、そういう人は神様に低くされ、逆に自分を低くする人、人を差別しないで等しく愛する人は、神様に高くされると言うのです。水戸光圀も謙遜かもしれませんが、クリスチャンが最も謙遜だと考えているのはイエス様です。例えば、イエス様は弟子たちの足を洗いました。人の足を洗うことは、当時のイスラエルでは奴隷の仕事でしたが、イエス様は嫌がらずに弟子たちの前に座り、彼らの足を洗ったのです。イエス様の謙遜が最も表れているのが十字架です。イエス様は十字架にかかって死んでしまいました。それは周りの、イエス様を憎んでいる人たちが嘘をでっちあげたからです。しかしイエス様は彼らに言い返すことなく、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と祈られました。イエス様は自分で高くなろうとしない、いつも謙遜な方でした。そんなイエス様を、父なる神様は復活させて天国に引き上げられました。私たちはこのイエス様の謙遜に倣いたいと思います。高飛車な態度を取られたり、偉そうにされると、謙遜に生きるのをやめたくなります。しかしそんな時、この十字架にかかったイエス様の姿を思い返しましょう。

 

天の父なる神様、御名を崇め、賛美いたします。イエス様はとても謙遜なお方でした。その謙遜なイエス・キリストを、神様は高く引き上げられました。私たちの人生でも同じことが起こります。私たちが高飛車になれば低くされ、低く謙遜に生きるなら高くされます。主よ、どうぞ私たちに謙遜を教えて下さい。(2020915日 武田遣嗣牧師)