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孤独なものにささやく主 サムエル記第一13章1~15節

【新改訳2017】

Ⅰサム

[ 13 ]

13:1 サウルは、ある年齢で王となり、二年間だけイスラエルを治めた。

13:2 サウルは、自分のためにイスラエルから三千人を選んだ。二千人はサウルとともにミクマスとベテルの山地にいて、千人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにいた。残りの兵は、それぞれ自分の天幕に帰した。

13:3 ヨナタンは、ゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した。サウルのほうは国中に角笛を吹き鳴らした。ペリシテ人たちは、だれかが「ヘブル人に思い知らせてやろう」と言うのを聞いた。

13:4 全イスラエルは、「サウルがペリシテ人の守備隊長を打ち殺し、しかも、イスラエルがペリシテ人の恨みを買った」ということを聞いた。兵はギルガルでサウルのもとに呼び集められた。

13:5 ペリシテ人はイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように数多くの兵たちであった。彼らは上って来て、ベテ・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。

13:6 イスラエルの人々は、自分たちが危険なのを見てとった。兵たちがひどく追いつめられていたからである。兵たちは洞穴や、奥まったところ、岩間、地下室、水溜めの中に隠れた。

13:7 あるヘブル人たちはヨルダン川を渡って、ガドの地、すなわちギルアデに行った。しかしサウルはなおギルガルにとどまり、兵たちはみな震えながら彼に従っていた。

13:8 サウルは、サムエルがいることになっている例祭まで、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで、兵たちはサウルから離れて散って行こうとした。

13:9 サウルは、「全焼のささげ物と交わりのいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。そして全焼のささげ物を献げた。

13:10 彼が全焼のささげ物を献げ終えたとき、なんと、サムエルが来た。サウルは迎えに出て、彼にあいさつした。

13:11 サムエルは言った。「あなたは、何ということをしたのか。」サウルは答えた。「兵たちが私から離れて散って行こうとしていて、また、ペリシテ人がミクマスに集まっていたのに、あなたが毎年の例祭に来ていないのを見たからです。

13:12 今、ペリシテ人がギルガルにいる私に向かって下って来ようとしているのに、まだ私は【主】に嘆願していないと考え、あえて、全焼のささげ物を献げたのです。」

13:13 サムエルはサウルに言った。「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、【主】が命じた命令を守らなかった。【主】は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。

13:14 しかし、今や、あなたの王国は立たない。【主】はご自分の心にかなう人を求め、【主】はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。【主】があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ。」

13:15 サムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギブアへ上って行った。サウルが彼とともにいた兵を数えると、おおよそ六百人であった。

 サウルが僅か2年で王位を退いたこと(1)については、象徴的な数字である(30章までサウル王は生存しているので、王位はもっと長かったかもしれない)とか、神の視点から見た数字である(14。神様はすでに次の王を定めておられた)という説がありますが、いずれにせよ初めに「2年だけ」と書くことによって、サウル王の王位の短さを強調していると言えます。王位がなぜ短かったのか、それはサウルが神様ではなく、人望や人の評価の偶像に従っていたからです。

 ペリシテ人を恐れた兵たちは、色々なところに隠れました(6)。一方、サウルはペリシテ人だけでなく、人望が失われることを恐れていました(8)。当時、イスラエルでは戦いの前に神様にささげ物をする慣習があったようです。ペリシテ人の大軍が迫る中、サウルはこの例祭を7日間待ちました。しかし、兵たちがサウルから離れ散って行こうとしたことに耐えられませんでした(後にサウルは自分より人望を集めているダビデを妬み、殺そうとします。185191)。普段はサムエルがささげる物を、サウルがささげた、つまりサウルは神に背くことによって人望を得ようとしたのです。人の評価は移り変わります。それに望みを置くなら、私たちは不安定な人生を送らざるを得ません。また、私たちを愛して下さっている神様の使命に生きることができなくなってしまいます。

 では、私たちが人望という偶像に支配されないためにはどうしたら良いでしょうか。

第一に、偶像を認めることです。サウルは全く悪びれる様子がありません(12)。彼は、自分の行為を信仰深い行いのように説明しました。これは、他人が自分の罪と向き合うことを避けるための常套手段と言えます。私たちは自分は正しいと大声を上げるのをやめて、神様の御言葉に心を傾けるべきです。人望が欲しい、孤独だと思う時があるかもしれませんが、主は孤独な者にやさしく語りかけて下さいます。自分は正しいという思いがやんで、自分の拠り所にしていた偶像が示されたら、偶像にではなく神様を主と認めることができるように祈りましょう。

 第二に、自分のものは神のものであると知ることです。自分の体も財産も、すべて神様からの預かり物です。主は与え、主は取られるのです。しかしサウルは、人望を守るために神様に背いてしまいました。クリスチャンになるということは、神様の民になることです(エレ3238)。神様は必要なものを全て与えて下さるという信仰を持って、自分の大切なものが無くなるということを恐れず、歩んでいきたいと思います。

 第三に、「永遠」に目を向けることです。神様はサウルに、人望よりもっと大きなもの(永遠の王国)を与えようとされていました(13)。これはおそらく、サウルの子孫からイエス・キリストが生まれ、イエス・キリストが永遠の王国を建てあげていくことを意味していると思います。しかしサウルが人望を求めたので、神様はダビデ(サウルの次の王)の子孫からイエス・キリストを誕生させました。聖書は、この世界の終わりに永遠に続く王国を建てると言います。そして神様は、その王国が建てあげられる過程の一部を、私たちに委ねています。私たちが人に神様のことを伝えるということは、永遠の王国の住民を増やすということです。私たちには目の前のすぐに無くなってしまうものではなく、永遠に残る物のために働いているという意識があるでしょうか。

 

 天の父なる神様、御言葉をありがとうございます。あなたは、この世界を創られた偉大な神様です。同時に、私たちの傍にいて下さる神様です。私たちはこれを中々理解できません。この世で権力のある人たちは、小さな私たちに目を留めないからです。しかし偉大な神様は、今までずっと私たちを愛して下さいました。人の評価に私たちの人生が左右されるのではなく、常に神様の愛に心を留めて、今週一週間、あなたを主として歩んでいくことができますように助けて下さい。(2021321日礼拝 武田遣嗣牧師)