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第114回 童謡・唱歌・賛美歌を歌う会

6月15日(火)、童謡・唱歌・賛美歌を歌う会が開かれました。「かたつむり」、「雨」、「雨降りお月さん」、「いつでも夢を」、「雨をふりそそぎ(聖歌570番)」、「故郷」を歌いました。参加者は8名でした。

 

 レンブラントの「放蕩息子の帰郷」という絵には、ボロボロの服を着て、父親に抱きしめられている息子が描かれています。この息子は父親から譲り受けた財産を散財し、一文無しになって家に帰ってきたのですが、父親は彼を抱きしめ、再び息子として彼を迎え入れたのでした。人間同士の愛は条件付きが多いですが、神様(ここでは父親)の愛は無条件の愛です。私たちがどれほど人を傷つけ、悪いことをしてきたとしても、神様のところに戻ることができる、これは聖書の約束なのです。

 絵の中にはさらに、この様子を冷ややかに見ている人物がいますが、彼はこの放蕩息子の兄です。兄は弟と違って、いつも真面目に人生を歩んできました。兄は今まで正しく生きてきたのだから、弟より父親に愛されて当然だと考えていました。しかし父親は弟を抱きしめ、兄が今まで受けたこともないようなもてなしをしました。

 さて、戯曲「アマデウス」の主な登場人物は、モーツァルトとそのライバル、サリエリです。彼らは共に音楽家ですが、サリエリは放蕩息子の兄に大変似ています。サリエリはある日、こう祈りました。「神様、僕を偉大な作曲家にして下さい。そうして下さったら僕は一生きよく過ごし、熱心に働き、あなたに忠誠を尽くします」。サリエリはこの言葉通り貧しい人のために働き、無償で音楽を教えていました。そんな時、現れたのがモーツァルトでした。サリエリより遥かに才能を持ったモーツァルトは自由奔放で、あの放蕩息子のようでした。戯曲の中ではサリエリは神様に激怒し、神様を敵対視していきます。私たちは彼のような叫びを、神様に向けたことはないでしょうか。私はあの人より真面目に生きてきたのに、なぜあの人は祝福されて、私の人生は惨めなのか。人と自分を比較する中で、神様の愛がわからなくなることが私たちにもあるかもしれません。

 放蕩息子の兄は、努力すれば父親に愛されると思っていたので、遊び惚けている弟が許せませんでした。しかし父親は、努力や誠実さによって人を愛するのではありません。なぜなら、神様の愛は無条件の愛だからです。人と比較するのではなく、無条件の神様の愛を受け取って、神様を真っすぐ見つめる人生を送っていきたいと思います。

 

 天の父なる神様、今日は放蕩息子の兄のお話をしました。人と比較してしまう裏側には、自分はましだという思いがあるのかもしれません。そのような卑屈な人生ではなく、神様の愛を受け取り、喜びに溢れた人生を送ることができるように助けてください。神様は梅雨の雨のように、多くの恵み、愛を与えて下さっています。それに私たちが気付いて、神様と共に歩むことができるように助けて下さい。(武田遣嗣牧師)