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戦いの備え サムエル記第一17章20~40節

【新改訳2017】

Ⅰサム

17:20 ダビデは翌朝早く、羊を番人に預け、エッサイが命じたとおりに、言われた物を持って出かけた。彼が野営地に来ると、軍勢はときの声をあげて陣地に向かうところであった。

17:21 イスラエル人とペリシテ人は、向かい合って陣を敷いていた。

17:22 ダビデは、父からことづかった物を武器を守る者に預け、陣地に走って来て、兄たちに安否を尋ねた。

17:23 ダビデが彼らと話していると、なんと、そのとき、あの代表戦士が、ペリシテ人の陣地から上って来た。ガテ出身のゴリヤテという名のペリシテ人であった。彼は前と同じことを語った。ダビデはこれを聞いた。

17:24 イスラエルの人はみな、この男を見たとき、彼の前から逃げ、非常に恐れた。

17:25 イスラエルの人々は言った。「この上って来た男を見たか。イスラエルをそしるために上って来たのだ。あれを討ち取る者がいれば、王はその人を大いに富ませ、その人に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。」

17:26 ダビデは、そばに立っている人たちに言った。「このペリシテ人を討ち取って、イスラエルの恥辱を取り除く者には、どうされるのですか。この無割礼のペリシテ人は何なのですか。生ける神の陣をそしるとは。」

17:27 兵たちは、先のことばのように、彼を討ち取った者には、これこれをされる、と言った。

17:28 兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブはダビデに怒りを燃やして言った。「いったい、おまえは、なぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私には、おまえのうぬぼれと心にある悪が分かっている。戦いを見にやって来たのではないのか。」

17:29 ダビデは言った。「私が今、何をしたというのですか。一言、話しただけではありませんか。」

17:30 ダビデは兄から別の人の方に向き直り、同じことを尋ねた。すると、兵たちは先ほどと同じ返事をした。

17:31 ダビデが言ったことは人々の耳に入り、サウルに告げられた。それで、サウルはダビデを呼び寄せた。

17:32 ダビデはサウルに言った。「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦います。」

17:33 サウルはダビデに言った。「おまえは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。おまえはまだ若いし、あれは若いときから戦士だったのだから。」

17:34 ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼ってきました。獅子や熊が来て、群れの羊を取って行くと、

17:35 しもべはその後を追って出て、それを打ち殺し、その口から羊を救い出します。それがしもべに襲いかかるようなときは、そのひげをつかみ、それを打って殺してしまいます。

17:36 しもべは、獅子でも熊でも打ち殺しました。この無割礼のペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をそしったのですから。」

17:37 そして、ダビデは言った。「獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった【主】は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。【主】がおまえとともにいてくださるように。」

17:38 サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着けさせた。頭に青銅のかぶとをかぶらせて、それから身によろいを着けさせたのである。

17:39 ダビデは、そのよろいの上にサウルの剣を帯びた。慣れていなかったので、ためしに歩いてみた。ダビデはサウルに言った。「これらのものを着けては、歩くこともできません。慣れていませんから。」ダビデはそれを脱いだ。

17:40 そして自分の杖を手に取り、川から五つの滑らかな石を選んで、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にし、そのペリシテ人に近づいて行った。

 イスラエル陣営の中で唯一、ゴリアテを恐れない人物がいました。それはダビデです(26)。イスラエルの兵士たちはゴリアテの身長や装備を見て怯えていましたが、ダビデは偉大な神様に敵対する愚かな人としてゴリアテを見ていました。このようなダビデの自信は、どこから来るのでしょうか。ダビデの兄エリアブは、ダビデの自信はうぬぼれだと考えました(28)。エリアブは、1667で体格が良い美男子として紹介され、兵士として選ばれています。この戦場にダビデがやってきたのは、戦場にいる兄たちの安否確認のためでした。ですからエリアブから見ると、ダビデがゴリアテを倒せると豪語しているのは、慢心にしか見えませんでした。しかしダビデは、偉大な神様が自分を救って下さると信じていたから、ゴリアテに挑むことができたのです。それは、彼が何度も神様の救いを体験していたからです(37)。ダビデが体験した神様は最も偉大で、最も近しい神様でした。彼にとって神様は獅子や熊よりも強く偉大であり、ベツレヘムのような田舎にあっても共にいて下さるお方だったのです。神様は獅子も熊も打倒して下さった、だからゴリアテからも救い出して下さると、ダビデは確信していました。皆さんにも、戦っているゴリアテがいると思います。しかしこれまで、神様から助けられてきた経験があるのではないでしょうか。今日まで私たちを獅子や熊から救い出して下さった神様は、これから挑むゴリヤテからも私たちを救って下さるという確信を持って、信仰生活を歩んでいきたいと思います。 

 また、私が今日皆さんに一番お伝えしたいことは、救われているという確信を深めていくことができるということです。クリスチャンと話していてよく聞くのが、「実は、私は中途半端な気持ちで受洗したんです」ということばです。でも大丈夫です。救いの喜びと確信は、深めていくことができるからです。一つの方法は、神様のご性質とみ業についてよく知ることです。神様は私たちを愛して下さっているから、私たち罪びとを救い出して下さいました。また、神様は正義です。だから、私たちの代わりに十字架にかかって死んで下さいました。このような神様のご性質やみ業を知っても、実生活ではすぐに使えないかもしれません。私たち現代人はすぐに使える知識、今日学べば今日使える知識を求めがちです。しかし、私たちが聖書を通して神様のご性質やこれまでのみ業をしっかりと学んでいく時、その知識は救いの確信を深めていきます。救いの確信が深まっていくということは、ただ天国に行ける希望が増し加わるだけではありません。私たちが救いの確信を深めて、イエス様がこんな思いで私たちに犠牲を払って下さったことを知る時、私たちも他の人々に犠牲をささげることができるのではないでしょうか。このように、救いの確信は私たちの実生活に大きな影響を及ぼしていくものです。ですから、私たちは今週も聖書を開き、祈り、神様のご性質、み業を知って、救いの確信を深めていきたいと思います。

 昨日はT兄の葬儀がありました。T兄は火曜日に体調を崩され、水曜日に亡くなられました。先週、T兄は礼拝の司会をして下さったのですが、体調が思わしくなく、私は何度か交代を申し出ました。でもT兄は断固として司会を続けられたのです。私は彼の人生を振り返って、本当に彼は人生を走り切ったと思いました(ヘブル121)。救いの確信があって、御国に向かって真っすぐ走って行く人は、言葉足らずですがすごいと思い、T兄を見倣いたいと思いました。私たちは救いの確信を持っているでしょうか。そして、天の御国に行くまで与えられた人生を走り切るのだという覚悟があるでしょうか。救いの確信を得て、神と共に歩んで行く者でありたいと思います。

 

 天の父なる神様、御名を崇め、賛美いたします。二千年前にイエス様が十字架にかかられたことによって、私たちの罪は雪のように白くされ、御国の希望を持つことができるようになりました。どうぞ、私たちがこの救いを素直に受け取って、私たちに与えられた救いがどれほど素晴らしいものなのかを日々味わい、感謝して歩んでいくことができますように助けて下さい。(202174日礼拝 武田遣嗣牧師)