「故郷、「もみじ」、「庭の千草」、「学生時代」、「もしも私が苦しまなかったら(新聖歌292番)」を歌いました(途中、ゲームもあります)。
水野源三さんは1937年、長野県坂城町に生まれました。9歳の時、赤痢による高熱のために脳性麻痺に罹り、全身がほぼ動かなくなり、話すこともできなくなってしまいました。話せなくなる直前、水野さんは「死ぬ、死ぬ」という絶望の言葉しか出なかったそうです。そんなある日、水野さんの家に牧師が訪ねてきました。宮尾牧師という人です。彼は筋萎縮症を患い、自分の命が長くないと思った時、故郷の長野に帰ってイエス様のことを伝えていました。宮尾牧師は足を引きずりつつ何度も水野さんの家を訪れ、水野さんは宮尾牧師から渡された聖書を通してイエス様を信じました。
先生
体が不自由になり 赤とんぼと悲しく見ていた私に 聖書を読み
みことばを説いてくれた先生
大きな活字の 大きな聖書も 読めないほどに 視力がおとろえた先生
二十八年間 私のために 父なる神様に 祈り続けてくれた先生
水野さんが詩人として活躍する背景には、宮尾牧師の存在が欠かせなかったと思います。もう一つ詩を読んでみましょう。
砕いて砕いて砕きたまえ
御神のうちに生きているのに 自分ひとりで生きていると
思い続ける心を 砕いて砕いて砕きたまえ
御神に深く愛されているのに 共に生きる人を真実に
愛せられない心を 砕いて砕いて砕きたまえ
御神に罪を赦されているのに 人の小さな過ちさえも
許せられない心を 砕いて砕いて砕きたまえ
私たち人間の中には、私は悪くない、悔い改めなど必要ではないという心と、全て砕かれて新しくなりたいという心が共存しているのではないかと思います。水野さんは自分の心の頑なさを神様に砕いていただき、人を愛し赦す生き方をしたいと考えていたのでしょう。水野さんは全身麻痺になり、神様を恨んで生きてもおかしくないのに、イエス様に出会って自分の罪に気づき心が砕かれた時、絶望から喜びの人生へ変えられたのだと思います。また、水野さんは自身の苦しみがなかったら、神様の愛を知らなかった、イエス様が十字架上で苦しまなかったら、神様の愛はあらわれなかったと言っています。
苦しまなかったら
もしも私が苦しまなかったら 神様の愛をしらなかった
多くの人が苦しまなかったら 神様の愛は伝えられなかった
もしも主イエスが苦しまなかったら 神様の愛はあらわれなかった
もしも主イエスが苦しまなかったら 神様の愛はあらわれなかった
神様の愛はあらわれなかった
水野さんの詩集「主に任せよ、汝が身を」は、彼がお母さんを亡くした直後の作品だそうです。これを読むと、病にあっても母親の死にあっても、水野さんから神様の愛を引き離すものはなかったことがわかります。
【新改訳2017】
ロマ
8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、
8:39 高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
天の父なる神様、水野さんは9歳の時赤痢によって脳性麻痺になりましたが、あなたはその絶望の中から水野さんを救い出して下さいました。私たちも悲しみを抱えて生きていきますが、神様の愛に本当に触れた時、神様の愛は私たちを救い出すことができます。主よ、どうぞ私たち一人一人が神様の愛、救いを受けて、喜んで人生を歩むことができますように。(武田遣嗣牧師)
コメントをお書きください