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第120回童謡・唱歌・讃美歌を歌う会

「故郷」、「静かに眠れるベツレヘムよ」、「野に伏す羊を見守る牧人」、「あら野のはてに」、「きよしこの夜」を歌いました。参加者は8名でした。

 

人生で意味がわからないこと、困難なこと、様々なことがあります。今日は、それらに対しよく考える大切さを、クリスマスのマリアから一緒に学びたいと思います。

 

 少女マリアのもとに天使が入ってきて、このように言いました(ルカ1:2829)。初めて天使を見たマリアは、ひどく戸惑って考え込みます。考え込むとは、論理的に考えるという意味合いがあるそうです。天使はさらにマリアに、まだ結婚していないマリアから救い主となる男の子が生まれると告げます(31)。マリアはこの言葉も深く考え、天使に質問をします(34)。天使は、親類で高齢のエリサベツも神様の力によって男の子を産むと言いました(36)。マリアはこの後急いでエリサベツのところに行き、真実を自分の目で確かめ、天使の言葉が本当だったことを悟るのです。このように、マリアは自分に起こった出来事を徹底的に考える人でした。なぜなら、彼女は人生で意味のない出来事はないと信じていたからです。もし神様がいなくて、この世界で起こることは全て偶然だと思うなら、私たちが困難について意味を考えるのは無意味かもしれません。しかしもし皆さんの人生に計画を持ち、皆さんを愛して下さっている神様がいるなら、私たちが人生の困難とか、恵まれていることの意味について考えることはとても有益だと思います。なぜ何の功績もない田舎の女性が救い主の母親に選ばれたのか、この後マリアはその意味を知ります(5153)。それは高慢な者を謙虚に、皆に貶められている謙虚な者に栄誉を与え、飢えた者を満ちたらせるためでした。何も持っていないマリアのところに生まれる、これに意味がありました。イエス様はすべての人の救い主だ、だから自分のおなかから生まれるのだと、マリアはこの出来事の意味を知るのです。彼女は、人生で起こった出来事を考え続ける姿勢を、生涯崩しませんでした。私たちも様々な問題に遭遇した時、真摯に考え続けたマリアに倣い、神様と一緒に人生を歩んでいきたいと思います。(武田遣嗣牧師)