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あなたに語る神様 サムエル記第一28章1~14節

【新改訳2017】

Ⅰサム

[ 28 ]

28:1 そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦おうとして、軍隊を召集した。アキシュはダビデに言った。「承知してもらいたい。あなたと、あなたの部下は、私と一緒に出陣することになっている。」

28:2 ダビデはアキシュに言った。「では、しもべがどうするか、お分かりになるでしょう。」アキシュはダビデに言った。「では、あなたをいつまでも、私の護衛に任命しておこう。」

28:3 サムエルはすでに死に、全イスラエルは彼のために悼み悲しみ、彼を彼の町ラマに葬っていた。一方、サウルは国内から霊媒や口寄せを追い出していた。

28:4 ペリシテ人は集まって、シュネムに来て陣を敷いた。サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。

28:5 サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心は激しく震えた。

28:6 サウルは【主】に伺ったが、【主】は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。

28:7 サウルは家来たちに言った。「霊媒をする女を探して来い。私が彼女のところに行って、彼女に尋ねてみよう。」家来たちはサウルに言った。「エン・ドルに霊媒をする女がいます。」

28:8 サウルは変装して身なりを変え、二人の部下を連れて行った。彼らは夜、女のところにやって来た。サウルは言った。「私のために霊媒によって占い、私のために、私が言う人を呼び出してもらいたい。」

28:9 女は彼に言った。「あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち切ったことをご存じのはずです。それなのに、なぜ、私のいのちに罠をかけて、私を殺そうとするのですか。」

28:10 サウルは【主】にかけて彼女に誓って言った。「【主】は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」

28:11 女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「私のために、サムエルを呼び出してもらいたい。」

28:12 女はサムエルを見て大声で叫んだ。女はサウルに言った。「あなたはなぜ、私をだましたのですか。あなたはサウルですね。」

28:13 王は彼女に言った。「恐れることはない。何を見たのか。」女はサウルに言った。「神々しい方が地から上って来るのを見ました。」

28:14 サウルは彼女に尋ねた。「どのような姿をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることが分かって、地にひれ伏し、拝した。

 

 神様は、「みことば」によって最もはっきりとご自身を知らせます。私たちは礼拝や日々のデボーションの中で、みことばに触れ続けることによって、神様と一緒に歩むことができます。さて、今日の中心人物サウル王は、神様のみことばを軽視する王でした。彼はみことばに対する知識は豊富だったと思います。しかし、みことばを聞く姿勢に問題がありました。今日はサウル王を反面教師にして、みことばを聞く時に大切なことを二つ学びましょう。

 第一は、神を愛するためにみことばを聞くことです。サウルは霊媒師を追い出したものの(3)、ペリシテ人がイスラエルに攻めてきた時には(4,7)霊媒をする女を頼りました。サウルは表面上、立派な信仰者でしたが、神様との愛の関係がなかったのです。だから彼は神様を信頼する道から簡単に外れていってしまいました。宗教改革者カルヴァンは、人間の生きる目的は何かという問いに、神を愛するために神を知ることだと答えました。では、神様を愛するためにみことばを聞くにはどうしたらいいでしょうか、一つは、神様がどのような方なのか意識して聖書を読むことです。もう一つは、みことばと祈りをセットにすることです。

 第二は、神様にへりくだってみことばを聞くことです(6)。サウルは大ピンチを前に、ようやくみことばに聞こうとします。しかし神様は、サウルにみことばを語りませんでした。神様が私たちに語りかけなければ、私たちはみことばを理解できません。どれだけ聖書の知識があっても、どれだけ良い行いをする人でも、神様がその人に語りかけなければ、その人はみことばを真に理解することはできないのです。私たちはへりくだって、神様、私にみことばを教えて下さいという祈りをもって聖書を開いているでしょうか。1112節からも、サウルがみことばに対しへりくだっていないことがわかります。「私のために、サムエルを呼び出してもらいたい」、サウルは自分に都合の良いことばを聞くために、サムエルを呼び出そうとしました。サウルはこれまで、自分に都合の悪いことばには耳を塞いできました。これは結局、自分を神様にすることです。私たちの神様は、父なる神様です。良い父親はその子どもに対して、甘い言葉だけかけることはしないでしょう。たとえ厳しい言葉でも、子どもの益になる言葉をかけるはずです。ですから私たちはへりくだって、自分に都合のいいみことばだけでなく、罪を指摘されるようなみことばにも耳を傾ける者でありたいと思います。

 

 天の父なる神様、私たちに日々みことばを与えて下さっていることをありがとうございます。しかし、私たち側の心が高ぶり、心砕かれていない状態で聖書を読むことによって神を理解できない、また自分が持っている主張を許可するためにみことばを読んでしまう時があるかもしれません。どうぞ私たちの高慢な心を砕いて、あなたのみことばを知ることができますように。時には今の自分に都合の悪いみことばが与えられるかもしれませんが、私たちの神様は父なる神様です。そのみことばは、必ず私たちの益になっていきます。主よ、どうぞ私たちに聞くことを教えて下さい。(202258日礼拝 武田遣嗣牧師)