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置かれた場所で咲くとは エステル記4章13~17節

413モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。

14もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」

15エステルはモルデカイに返事を送って言った。

16「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。

17モルデカイは出て行って、エステルが彼に頼んだとおりにした。

 

 

 今日はエステル記1~4章について、三つの部分(①王妃になったエステル、②ハマン企て、➂エステルの使命)に分けてお話をします。

 ペルシャの王、クセルクセスは美しい王妃を求めていました。そこで国中から容姿の良い女性たちが王宮に集められ、エステルはその中の一人でした。当時、ペルシャは比類のない大国だったので、王妃候補は多数いたでしょう。彼女たちは一年間王宮で暮らし、王に気に入られた一人だけが王妃になることができました。その狭き門をかいくぐって、エステルは王妃になりました。しかし、彼女は他の女性より賢く、美人だったから王妃になれたのでしょうか。実はそうでもなかったと思います(2:8)。エステルは、王妃になることにあまり積極的ではなかったようです。しかし監督官ヘガイに気に入られ、特別な待遇を受けるようになりました。これは彼女が王妃になった、大きな要因でした。つまり、エステルが王妃になったのは彼女の努力ではなく、神様が彼女を王妃に立てたと言えます。私たちの人生にもエステルのような側面があるかもしれません。自分の努力以外のことに引っ張られ、今の場所に置かれているのではないか、神様がその場所に置かれているのではないかと思うことがあります。

 さて、ハマンは王国で重要な地位に就いていました(3:1,2)。しかしエステルの親戚、モルデカイはハマンにひれ伏さなかったため、ハマンは憤って、モルデカイの同族であるユダヤ人を根絶やしにすることにしました(3:8,9)。裕福な暮らしをしていたハマンですが、彼は思い通りにいかないことが一つでもあると苛立ち、どんな手を使ってでも解決しよう、自分の力で今の生活を手に入れているのだと考えていました。ハマンのような、神様に置かれている状況、場所に全く感謝できないことから、私たちは神のいない人生のむなしさを教えられます。

 最後に、エステルの使命についてお話します。エステルはハマンの企てをモルデカイから聞きました。モルデカイは、エステルが王宮にいるから安全だと考えないように言いました。彼はエステルの育ての親ですから、彼女の消極的な性格を知っていたのでしょう。モルデカイの言葉によって(4:13,14)、エステルはなぜ自分が王妃になったのか、神様がなぜ自分をこの場所に置いたのかということを考えました。エステルがハマンと違うのは、今の地位を自分で獲得したとは全く思っていなかったことです。そして自問し続けた結果、彼女は自分の使命を見つけました。それは命がけで取り組むものでした(4:15,16)。王妃と言えど、王のもとに自ら行くことはできません。しかし彼女は法令に背いてでも、王のところに行こうとします。

 神があなたをその場所に置かれた、というのがエステル記の大きなメッセージです。神様は創造主であり、皆さんを大切な作品としてつくられました。だから皆さんは、それぞれ愛されています。そしてつくってほったらかしにしたわけでなく、いつも一緒にいて下さいます。ですから、皆さんが今の状況、場所に立てられているのは、皆さんの努力が全てではありません。神が私をこの場所に置かれたのだ、という前提に立って、自分の使命について考えてみましょう。ハマンの企てからユダヤ人を救えるのは、王宮にいて王と直談判できるエステルだけでした。私たちも王宮の中にいて、自分にしかできないことがあるのかもしれません。そしてエステルは、ユダヤ人のために命を捨てようとしました。これに似ているのがイエス様です。エステルは結局、この件で死ぬことはなかったのですが、イエス様は、私たちの罪のために十字架で死んで下さいました。私たちが苦しんでいる人のもとに行くのは、何のためでしょうか。イエス様がまず私たちを愛し、私たちを救って下さったからです。私たちもエステルやイエス様のように、自分が置かれた場所の周りにいる、悲しんでいる人のもとに行く、そのような一週間を過ごしたいと思います。

 天の父なる神様、みことばをありがとうございます。なぜ自分だけこのような状況に置かれているのか、私たちは時に自問自答をします。しかしその自問自答をやめるのではなく、みことばと祈りの中で問い続け、置かれた場所で咲くことができるようにあなたが導いて下さい。私たち一人一人に使命をお与えください。あなたが私たちを愛して、私たちを今日まで導いて下さいました。私たちは、一人で歩んできたのではありません。どうぞ、神様が置かれたこの場所で、私たちが地の塩、世の光として輝くことができますように助けて下さい。(2022522日礼拝 武田遣嗣牧師)