台車と信仰

 今年の3月、川越のケアハウスの部屋が空いたので、待望の引っ越しができました。その時役に立ったのが台車です。台車は結構重いですが、それよりもっと重いものを軽々と運んでくれました。

 私のクリスチャン生活を振り返る時、神を信じてからの歩みは、信仰という台車に自分を任せた歩みであったと思っています。これまで、数々の重荷に打ちひしがれそうになった時、神の存在を信じ、聖書の御言葉を神の語りかけと受けとめて、重荷が軽くなったり、重荷をおろせたことが何回もあり、神様への感謝が続いてきました。

 教会に来ない人は「毎日やりたいことがいっぱいあるから、教会に行く暇はない」と言います。教会生活を厄介なこと、人生に余計な重荷を背負いこんでしまうなどと考えておられるようですが、私の60年を越えるクリスチャン人生は、重荷が多い忙しい人生だからこそ、創造主であられる神様を信じて、心をきよめていただき、平安という贈り物を心に抱いて力強い歩みをすることができたと思うのです。

 正しい信仰があればこそ、神様の動力を頂戴して人生の重荷を運び、荒波を乗り越え、勝利者となることができるのだと思います。

 最後に聖書の言葉を紹介いたします。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)

「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主、私たちの救いであられる神」(詩篇68篇19節)     (依田名誉牧師)