人間となって現れた神

今年も年中行事の一つ、クリスマスを迎えている私たちですが、その中心点である表題の言葉がイエス・キリストの来臨を示すものと認識し、父とお呼びすべき愛の神に感謝しほめたたえる声、そして集いが今なおごく一部に限られていることは私たちクリスチャンにとって寂しいことであり、ますます宣教の責任を自覚させられる事実でもあります。
そこで、このクリスマス・シーズンにあたり、旧新約聖書が一貫して告げている神の愛のとりはからいの言葉をお伝えします。

 まず、人類の先祖アダムとエバが、神の戒めを破って禁断の木の実を食べた結果、以後生まれてくるすべての人間が不信仰の罪を内に宿して世に出てくることになり、世に様々な不幸をもたらしました。しかし愛と正義の神は、人類の父としての立場から非常手段としてのまことの愛(アガペー)を実行なさり、罪深い人間を救うため独り子の神を送って下さいました。この方が、ユダヤのベツレヘムに誕生されたイエス・キリストです。

 さて、聖書の著者は神の霊感の導きによって筆を執り、その歴史、教訓を記しました。消えてしまうことばを、いつまでも残る文書の形で人類に与えて下さったのです。神のみこころを体得した旧約聖書そして新約聖書の著者たちは、真実を正確に書き残しました。特にキリスト御誕生の意義については、異口同音に神の愛を宣べ伝えております。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ2:6,7)。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:10)。

 キリストは創り主、そしていのちの与え主である神に向かって、「父であられる神様!」とお呼びして祈るように教えて下さいました。半信半疑であっても、そのままにこう呼びかけて、神を信じるようになった方もおられます。今年のクリスマスには、あなたの心にキリストが内在して下さるようになることを願っています。(依田名誉牧師 12月13日記)