キリストの遺産

 「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(新約聖書ヨハネの福音書14章22節)。

 幸福な人生は誰もが求めていますが、聖書では幸福の代わりに平安、安息、喜びなどという表現が使われています。

 英語にはハッピーという用語があり、これを私たち日本人は幸せと訳します。その使い方はめぐり合わせがいい、さいころの目がいいといったような、その場での運が良いといったような意味があります。しかし、イエス・キリストが語られたのは、そのような場当たり的なことではありません。

 、ある海軍の兵士が「海がどんなに荒れていても、20メートル下の海底は全く穏やかなのです」と語りましたが、クリスチャンには前記の、世を去る前キリストが約束された平安が心に宿っているので、この心境こそキリストの遺産、宝物だと私は信じています。

 その心境は、世の人々の求める当たり外れのある幸せとは質の異なった、不変であり永続的なものでもあるのです。表側では嵐が吹き荒れる中にあっても、心の奥底に宿っているのは喜びです。そしてこの心境が生活の原動力となれば、こんなすばらしいことはありません。聖書は、この喜びの源を変わり易い人の心や財産などにはおかず、神を信じる者の心に宿る神の霊の働きにおいています。

 幸福を人の評判、愛情、世の保証する安全などに求める人は多いです。然しこれらには究極の喜び、平安は期待できないのです。

 喜びの源は神との心のつながりにあるのですから、神から離れていては不変の喜びはありません。神の愛を信じながら、神のことば、聖書に従う歩みをする時に、喜びはあなたのものとなるのです。(2016年2月19日  依田名誉牧師)


☆ 私は割合元気です。最近、暫くぶりで左肩が痛いほどこり、整形外科で検査、薬をもらって来ました。今日(19日)は平常に戻ったのですが、2週間は薬と付き合わねばなりません。皆様によろしく。