遣僕使ブリュッセル便り  (5)

 

「アンネのバラ」交配者訪問記

 

 

 

 那珂湊教会の玄関左側にある花壇の一角に「アンネのバラ」がある。今年の7月茨城キリスト教学園から苗木を頂いたのである。その時、「アンネのバラ」はアンネのお父さんオットー・フランクがベルギーの園芸家に依頼して誕生したと聞いた。そのことをブリュッセルに来てから思い出し、是非この園芸家を訪ねたいと願っていた。

 

 ブリュッセル教会の人に尋ねても「アンネのバラ」のことを誰も知らなかった。ところがカトリック教会員で、よくプロテスタント教会にも出席するN兄に話すと「聞いたことはないが調べてみましょう」と言って、その園芸家を見つけ、連絡を取ってくれた。その上N兄の車で、日本語教会のO姉と小生たち夫婦で、その園芸家を訪ねることができた。

 

 その園芸家は、ブリュッセルから車で40分くらいの北にあるサンニコラ(Sint-Niklaas)近くのベルセル(Belsele)に住むビルフリート・デルフォルジュ(Wilfried  Delforge)さんと言う方である。育苗業は、お父さんのヒッポリト・デルフォルジュ(1905~1970)が創業し、創業1927年の次の年にビルフリートさんが生まれた。現在88才だが矍鑠とし、パソコンを自在に駆使している。5年前に育苗業を引退し、会社は後任に委ねたとのことである。

 

「アンネのバラ」を開発するためにビルフリートさんも実際に携わった。新しいバラを交配した1955年当時は27才、そしてオットー・フランクにお父さんヒッポリトさんが会って、「アンネのバラ」との名前で品種登録した60年当時は32才だった。

 

 ビルフリートさんは育苗家として世界各地で行われるバラ国際コンクールや「花の祭典」等で用いられている。東京で行われたバラ国際コンクールで受賞したり、大阪での「花の万博」にも展示された。ベルギー国内でも育苗家として有名で、国王夫妻が訪問してビルフリートさんと兄弟が説明している写真を見せてもらった。

 

 ビルフリートさんは「アンネのバラ」のほか、約60の新種のバラを交配したそうである。また、この育苗家としての毎日は、朝に夕に苗を観察し、文字通り世話をして育てるので大変ではあったが、引退する82歳までの約60年間は「大変幸いであり喜びの人生だった」と言う。

 

 さらに、2015年原爆70周年の年、広島の平和記念公園に「アンネのバラ」が植樹されたことも大きな喜びだと目を輝かせた。

 

実は、小生にはビルフリートさんにぜひ尋ねたいことがあった。それは「『アンネのバラ』で世界中の人々に何を伝えたいですか」ということだった。ビルフリートさんの一言、「平和です」は印象的であった。 1972年以来、「アンネのバラ」は日本の各地に広まっている。アンネやお父さんのオットー、そして園芸家のヒッポリトさんと息子のビルフリートさんたちが願うのは「平和」なのである。

 

「アンネのバラ」が平和を創り出すメッセージを伝える使者として、那珂湊だけでなく、茨城県、そして日本、世界で用いられるよう願わされる。

 

 そして今回、小生たちのために奥様がいろいろともてなして下さり、辞去する時、二人で門まで出て見送って下さったことも忘れられない思い出となった。

(写真は茨城キリスト教学園の「アンネのバラ」。)