「緑が丘」と「旭岳」(旭川・緑ヶ丘便り15)

 

 小生たちの住まいは旭川市の中心街からは南東部5、6キロに位置する「緑が丘南」にある。名称からも想像できるように全体的には丘陵地である。この「緑が丘南」があるからと言って「緑が丘北」や「緑が丘西」がある訳ではない。が、「緑が丘東」と「緑が丘」はある。小生たちのように新参者にとって「緑が丘」だけならばわかりやすいのだが「東」や「南」があるので何が何だかわからなくなってしまうことがある。それはそうとして、先述したように旭川市の南東部にあるかなり広い丘陵地帯である。そこに、30年ほど前に開発された新興住宅地である。旭川市の中でも屈指の美しい住宅地ではないだろうか。かつて小生がまだ札幌に住んでいた頃、この緑が丘教会に連れて来られたことがあり、美しい街路樹や周囲の公園、各軒先の庭木や花々に感動した。もし、北海道で住むならこんなところに住みたいと思ったものである。当時札幌中心街から北方に78kmの新琴似に住んでいた。その頃の新琴似は豊かな緑はなく、寒々とした住宅地であったのでその違いたるや甚だ大きかったのである。ところが、思いがけず憧れの旭川市の緑が丘に住むようになるとは、不思議なものである。現在緑が丘の街路樹の多くはプラタナスである。そのプラタナスは天を突くように大きくなり、幹も太く堂々とした街路樹となり、並木通りとなっている。

 

 また「緑が丘」と「丘」がついているように旭川市の中心街からすれば高台になっている。古くから旭川に住む人たちに「緑が丘に住んでいる」と小生が言うと「そこは寒く夏は逆に暑いです」と仰るのである。どのくらい寒く、また暑いのかは分からないが市内より寒く、暑いのは確かなようである。気温とは別に、「緑が丘」が確かに高い所にあることは、緑が丘の中で尾根地帯らしきところに立つと、東に朝日岳等 大雪連峰、西には旭川駅等、旭川の中心街、南には美瑛川とその遥か先に芦別岳、北には忠別川、石狩川に挟まれた住宅街、その先には暑寒別岳が見えるのである。緑が丘に立つと旭川が周囲を山に囲まれた盆地であり、また川の街であることが実感できるのである。

 

 実際に緑が丘に住んで、アパートから教会まで約1㎞の道を歩くだけでますます緑が丘が好きになった。僅か1㎞だからかつての小生であれば歩いて行くことは何の苦もない。パリの14区にあるモンパルナス辺りからエッフェル塔まで往復したり、バスティーユにある「マレ改革派教会」まで徒歩で行ったりしたことを考えれば何ともない距離である。しかし、何度も書くように「類天疱瘡」の治療に加え、その副作用によるあちこちの骨がもろくなったり、原因不明の足の激痛等で、一時はほとんど歩くことが困難になった。一日に歩くのは居間のテーブルからトイレまで約5メートルを4,5回往復するだけであった。ここしばらく激痛が起きず、教会とアパートを徒歩で往復したり、住宅地を少し歩いたりできるようになった。

 

 教会とアパートは一本道である。アパートから教会に向うと、まず登りの坂道である。正確に数えてはいないが右側10軒位の家並みである。その先はやはり右側は公園である。公園が終わるまで登りになっており、公園の終りが丘の一番高い所になり、尾根沿いに道がある。その道を渡ると、道は下りになる。2,3軒下ったところから、顔を上げて先を見ると緑が丘教会の会堂とその上に旭岳と大雪連峰が見えるのである。緑が丘教会の会堂の屋根の色は淡い薄緑であり、大雪連峰は真っ白なので、その対象が鮮やかで美しい。ただ冬期に旭岳が見えるのは滅多になく、一冬で数回しかないとのことである。

 

 旭川市内で旭岳が見える場所はたくさんあるに違いない。古くからの旭川市民には夫々自慢の美しい旭岳スポットがあるだろう。が小生たち緑が丘教会員にとっては、「緑が丘教会」会堂の上にそびえる旭岳が最高の旭岳である。