たんぽぽ(旭川緑が丘便り18)

 

 漸く旭川にも春が来た。しかも、徐々にではなく、一息に来た。道路の雪は消えた。早朝でさえプラスの気温になった。日中は10度を超える日もある。部屋の中でストーブを点けなくても充分、暖かい。暑いくらいである。いつも着ているセーターも脱ぎたくなる程である。

 

 教会から1㎞くらいの所にある旭川医大に通院している。こちらに来る前からの「類天疱瘡」と「下垂体前葉機能障害」の影響で一月から旭川医大の皮膚科と整形外科に通院するようになった。免疫力低下のために口の中にカンジダ菌がはびこるようになったことと、突然左足に激痛が起き、身動きが出来ず、数時間耐えなければならない症状が起きたからである。

 

 しかし、それも3月になり、症状が軽くなり落ち着いているのが最近である。45日に旭川医大に言った。医大の駐車場わきに積っていた雪の山も低くなり、道路際では雪がなくなっていた。そこに目を向けると何とたんぽぽがあるではないか。思いがけなく春の使者を見た思いである。その道路を見ると、たんぽぽが一つ、二つ、、、と咲いているのである。「おお、春だ。春が来た」と叫びたい気持ちが湧いてくる。小さな、背の低いたんぽぽであるが、摘んで持ち帰りテ―ブルの上にでも飾りたくなる。がそんなことをすれば愚妻に叱られるだろうから、摘んで帰るのはやめにした。

 

 この春、初めて見た草花である。かつて札幌にいた1975年から93年頃、札幌で春に最初に見る草花はクロッカスであった。4月初旬の入学式の季節にクロッカスは札幌の家々の庭先を飾った。当時、30歳代の前半で、草花の知識も興味もなかった小生も、根雪が溶けた下から突然、色鮮やかなクロッカスが咲き誇るのに感動を禁じ得なかった。だから札幌で春の花と言えばクロッカスとの印象が強く残っていた。

 

 旭川でも春いちばんの花はクロッカスと思っていた。しかし、旭川医大前でたんぽぽを見つけた。もしかしたら、家の庭ではクロッカスが咲いているのかも知れないが小生は見ていない。

 

 「たんぽぽ」と言えば名前に「たんぽぽ」を使った教会がある。東京、府中市に「キリスト教たんぽぽ教会」と言う教会がある。今から約20年前に設立された教会である。「たんぽぽ」教会なんて変な名前だと思った。その教会からそれほど遠くない東京の世田谷区にある「キリスト教朝顔教会」を真似たのだろうと思っていた。「朝顔」があるのだから「たんぽぽ」があってもおかしくはないだろうと思っていた。実は「たんぽぽ教会」の牧師や教会員にその名を付けた理由を尋ねたことはない。

 

 しかし、45日、旭川医大で雪解けの道端でたんぽぽを見た時、ふと思った。タンポポは長い冬、雪山に耐えて来た。雪がなくなった時、いの一番の咲き、道行く人に「春だよ」と呼び掛けている。またたんぽぽは春風に種子が飛ばされ、遠く離れた地に舞い降り、そこでまた花を咲かせ、実をならせるのである。

 

 「たんぽぽ」は聖書のみことばを現わしているのではないかと思った。「たんぽぽ」は冬に耐え、悲しみや痛みに耐えている人に喜びを与える、イエス様の十字架と復活のみことばではないか。