フーテン僕使ウィーン便り①

 

①老弱僕使遂にウィーンに

 

 

 

 何年振りかのウィーンである。トルコ航空だったのでイスタンブールで約4時間の乗り継ぎ時間の後5月18日午前8時過ぎにそこを飛び立ち約2時間半でウィーンに着いた。厚い雲に覆われていたが徐々に雲が切れ、雲間から日に光るドナウ川が見えて来た。本当にウィーンに導かれたのだと実感させられる。何故なら、こんなに体調が悪く、役立つとは思われないからだ。しかも423日に旭川の緑が丘福音キリスト教会から那珂湊に帰って来てまだ3週間位しか経っていない。この間、下垂体機能障害と類天疱瘡という二つの難病のための病院通い、約一年半ぶりの掃除、片付け。しかも我々の父の危篤、死、葬儀。他教会の奉仕。と一日として落ち着く日はなかった。そんな状態でウィーン行の準備は全く出来なかった。約3カ月のウィーンでの生活の準備以上に、教会でのみことばの準備ができなかった。そんな状態で本当にウィーン教会に行けるのかと主に申し訳なく、憐れみを求めるばかりだった。

 

 ウィーン行の航空券も10日前に漸く取ることができた始末だった。スーツケースも体力を考えて軽い物を、前日に買いに行った。そんな状態で泣きたくなる時、友人たちが小生たちのウィーン行きを祈り励ます昼食会を開いてくれた。浦和福音自由教会の坂野さん、仙台福音自由教会の栗原さん、同盟教団土浦めぐみ教会の清野さんである。同世代で事あるごとにゴルフをしたり、温泉に行ったりしてバカ話に花を咲かせるのである。今回もどうしようもなく弱り果てている小生をバカ話と美味しい昼食で力づけ、祈り送り出してくれたのである。やはり持つべきものは信仰の友、信友であると感謝した。

 

 ウィーン空港は1810時頃降り立ち、成田から約19時間、那珂湊からは約25時間の旅で疲れ果てていた。こんな有様では役立つ奉仕など出来る筈はないと思えた。しかし「出会いの場」に元ウィーン教会牧師石川さんの娘であるルツさんが満面の笑顔で手を振っているのを見ると、小生のつらい顔が笑顔に変わった。ルツさんが教会の近くの牧師館まで案内してくれた。綺麗に掃除され、明るい大きな窓があった。ルツさんがこれからの生活のことや教会のことを話してくれた。昼食まで作ってくれた。これがウィーン第1日目であった。

 

 明後日(20)からウィーン教会での奉仕が始まる。20日はペンテコステ、聖霊降臨日である。こんな弱い者が奉仕できる唯一の根拠は、聖霊ご自身がウィーン教会にみことばを語って下さると信じることである。弱い者にこそ主が働いて下さるとの約束によるのみである。

 

左:日本語教会が午後礼拝しているルーテル教会。

右:幼稚園もあるので中庭で子供たちが遊べます。

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コメント: 2
  • #1

    白土千文 (水曜日, 23 5月 2018 09:02)

    こんにちは!
    大変ご無沙汰しております。
    本当に大変な中ウィーンへ向かわれ、それまでのご様子を伺い、
    目に浮かぶようです。
    弱い時にこそ鮮やかに働かれる主を、期待と共に見上げて進んで行きたい思いです。
    1978年にウィーンを訪れる機会がありましたが、その当時の思い出を目に浮かべながら
    先生の働きが守られますように覚えたいと思います。
    心身ともに主の豊かな護りがありますように。

  • #2

    村上幹夫 (土曜日, 26 5月 2018 18:37)

    いつもお世話になっております。今もなお、主に用いられ、歩まれているお姿を見て大きな励みと慰めになっております。
    私自身、牧会としてどうしたら良いかわからない時もありますが、主の慰めと憐れみがなさってくださることを覚え、進みたいと思っております。そういう意味であなたのブログはいつも楽しみにしております。主に祈りつつ。