フーテン僕使ウィーン便り⑱

 

⑱夢実現

 

 

 

 1960年代前半、学生時代に東京で初めて聴いたカール・ベーム指揮、ウィ―ンフィルの演奏を、ウィーンの楽友協会の黄金の間で聴きたいという夢を抱いた。落ちこぼれの貧乏学生にとっては夢の夢であった。ことばも出来ず金もない。どう考えても実現することは考えられなかった。そんな落ちこぼれ貧学生が救い主キリスト様の信仰に導かれた。しかも。不良クリスチャンであったにもかかわらず牧師にさせられた。全くの主の憐れみによった。そしてやはり不良落ちこぼれ牧師で、ことばも全くできない者に、人間的には考えられない、一年間英国留学の機会が与えられた。これを機に、在外邦人教会に奉仕するように導かれた。その最初がウィーン日本語キリスト教会だった。当時牧師だった高木攻一牧師が一時帰国する間の留守番牧師の依頼だった。それを主の憐れみと信じお受けした。その陰の理由は「もしかしたら、楽友協会でウィーンフィルを聴けるかもしれない」という悪い動機であった。やはり、神様はお見透しで、その悪しき動機をあっさり退けられた。ちょうど夏の期間、ウィーンフィルはウィーンにはいないのである。2回目のウィーンでの奉仕の時も同じ時期であった。

 

 ところが、今回3回目は5月中旬に来たのでウィーンフィルのウィーンで演奏する期間が610日まであった。67日に次女が来たので、折角なので彼女にも楽友協会でのウィ―ンフィルを聴かせてやりたいと思った。それで教会員でウィーンフィルのファゴット奏者の夫人に話すと尽力して下さり3枚のチケットが届けられた。

 

 3人は夢見心地で楽友協会に向かった。するとそこに向かう歩道は、盛装した紳士淑女たちがゆったりと歩を進めている。「この人たちもきっとコンサートだね」と話しながら行くと、やはりみな楽友協会に入って行く。

 

 玄階ホールは紳士淑女が会話を楽しんでいた。階下では開演前、コーヒーやケーキをゆっくり楽しむ姿もあった。驚いたのはどこにもチケットの確認をする人がいないのである。小生たちは一番安い「ギャラリー」という最上階で舞台の正面であった。演奏は定刻に始まった。バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。もう涙が出るほど感激した。夢に見た楽友協会でのウィ―ンフィルを聴くことが現実となった。ウィーンフィルと楽友協会ならではの音の響き。2曲目はチャイコフスキー「交響曲第6番・悲愴」。会場は指揮者マリス・ヤンソンの熱い指揮に引き込まれていた。演奏が終わった後一瞬静かになり、そして拍手が鳴り止まなかった。

 

 小生たちは感動のうちに帰路に着いた。次女もウィーンに来るまで内緒にしておいたので嬉しいサプライズでとても喜び興奮しでいた。が、ただ一言、「言ってくれれば、もっとましな服装が出来たのに」 -納得である。

 

ウィーン楽友協会。内部もとても豪華できれいでしたが、撮影禁止で残念。