作曲家の耳

 

 小生が音痴であることはこれまでも色々な機会に書いた。長女の出産の時、澄代は「楽譜通りに歌いなさい」と寝言で言った。当然、言った相手は小生である。 また、伝道者駆け出しの時奉仕していた教会に有名なオルガニスト岳籐豪希氏が来られ、聖歌隊を指導しておられた。その時岳籐さんが「細川さん、口だけ開けて声を出さないように」と言った。まあこれ程小生は楽譜通り歌うことが出来なかった。それ以来50年近くたった今もやはり楽譜通り歌えないのである。

 

 しかし、音楽は好きである。クラシックだけでなく、歌謡曲でもロックでもジャズでも、邦楽も聞くのは好きである。邦楽にも色々ある。長唄や小唄、謡曲、義太夫、箏曲、尺八等結構幅広い。小生自身、尺八を少し稽古したことがある。

 

 前置きが長くなったが、本題は作曲家の耳の不思議である。一体作曲家は自分が作曲する曲をどこで聞いているのか不思議に思う。バッハが「マタイ受難曲」を一体どのように聴いて作曲したのだろう。ベートーヴェンが交響曲を作曲の時実際に聴いたのはどこでだろう。作曲家は外見の耳ではない、目に見えない内なる耳で聴いているのだろう。彼らにとっては外なる耳では聴こえない、内なる耳でこそ聴いているのが実際の音なのだろう。

 

 主イエス様が言われた「聞く耳のある者は聞きなさい」ということが、作曲家には実現しているのだろう。

 

   2019.5.12.