『守教』(帚木蓬生著 講談社)に感動

 

 以前にも述べたと思うが、数年来 いわゆる神学、信仰関係の本を読むことはない。読む本は歴史小説が大半である。吉村昭、津本陽、吉川英治、山本一力、山本健 等手当たり次第に読んでいる。これらは神学書や信仰書ではない。そこに描かれた人物が仏教においてその教えと信仰の対象に対して真摯な信仰の姿が描かれている。その信仰の姿には小生の信仰姿勢よりも全身全霊で信頼し、従っているのである。それによって小生の信仰がいい加減なものであることが指摘され悔い改めさせられるのである。キリスト信仰ではなく、いわゆる偶像礼拝と言っているものの方が小生のキリスト信仰と従順の不徹底さを教えられるのである。

 

 一番最近読んだのは『守教』である。これはザビエルによってもたらされたキリスト教信仰を信じた人たちが禁教にも耐え、高札撤去まで、生命をかけて信仰を守った歴史を記したものである。小生は恥ずかしながら徳川幕府の徹底的な迫害下でキリスト信仰者は形式的な信仰を継承して来たと思っていた。しかし『守教』によれば信仰者に信仰は形式どころか生命を賭して信じ、それを継承していたのである。彼らの信仰に比べれば小生の信仰こそ形式的であることを教えられた。約300年間の激しい迫害にも拘らず、キリスト教信仰を守り、継承した姿には感動するばかりである。初代教会が受けた迫害に匹敵するかそれ以上の受難ではないかとさえ思った。

 

                     2019.522