神は愛なり

 

 ここのところ、気力がやや衰えたので、ブログの原稿に取り組むのが遅くなってしまいました。今回は、例話の名人と言われているイエス・キリストが語られた、万物の創り主であられる神様の愛について教えられたメッセージを、新約聖書の中から選んでお伝えいたします。

 

 それは、キリストの弟子ルカの書き記したルカの福音書15章の、失ったものが戻った喜びを教える、イエス様の熱意ある例話です。

 

イエス様は一般の人が納得できることを願って、分かり易い内容の話をなさいました。そのねらいは「人生の生まれかわり」です。

 

さて、ルカの福音書15章には、三つの話が書かれています。

 

第一は、百匹の羊を持っていた羊飼いの話です。ある時、その百匹のうち一匹が迷子になって、群れから離れてしまいました。飼い主は迷子の一匹を徹底的に捜し求めてついに見つけ出し、近所の人たちと大喜びするという話です。

 

第二は、十枚の金貨を持っていた女の人がそのうちの一枚をなくしてしまい、明かりをつけて念入りに隅々まで探し続け、やっと見つけ出し、その後近所の人や友人と共に喜んだという話です。

 

第三は、「放蕩息子の帰還」とでも題をつけられる話で、やや長いです。内容は、裕福な家の次男が自由を求めて家を飛び出し、放蕩生活を送ります。やがて分けてもらった全財産を使い果たし、やっと家に帰り悔い改めの言葉を口にするやいなや、やさしい愛の父から大歓迎を受けるという話です。

 

一方、私は高齢者になって所有物をいろいろな形で失うことが多くなり、そのたびに暗い心になってやる気も失うスランプに陥ってしまうのですが

 

アガペと言われる最高の愛をもって私たちの人生を守り導いて下さる、創り主であられる神(父であられる神)は、神と隔絶している人を求めて、働きかけを今も続けておられます。

 

「わたしのもとに帰りなさい」の御声を色々な形でかけて下さる創造主、そして人の不信仰を罰する神の御手をただ一人で負い、十字架にかかって身代わりとなられた神の御子イエス様。この世が続く限り、この神の存在を伝える働きを止めてはなりません。

 

そんなわけで「神は愛なり」、小学生のとき暗記した文語訳聖書のみことばを、今回の主題と致しました。(201978日夜 依田次雄名誉牧師)