ハンナの祈り サムエル記第一1章1~19節

【新改訳2017

Ⅰサム

1:1 エフライムの山地ラマタイム出身のツフ人の一人で、その名をエルカナという人がいた。この人はエロハムの子で、エロハムはエリフの子、エリフはトフの子、トフはエフライム人ツフの子であった。

1:2 エルカナには二人の妻がいた。一人の名はハンナといい、もう一人の名はペニンナといった。ペニンナには子がいたが、ハンナには子がいなかった。

1:3 この人は、毎年自分の町から上って行き、シロで万軍の【主】を礼拝し、いけにえを献げることにしていた。そこでは、エリの二人の息子、ホフニとピネハスが【主】の祭司をしていた。

1:4 そのようなある日、エルカナはいけにえを献げた。彼は、妻のペニンナ、そして彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えるようにしていたが、

1:5 ハンナには特別の受ける分を与えていた。【主】は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。

1:6 また、彼女に敵対するペニンナは、【主】がハンナの胎を閉じておられたことで、彼女をひどく苛立たせ、その怒りをかき立てた。

1:7 そのようなことが毎年行われ、ハンナが【主】の家に上って行くたびに、ペニンナは彼女の怒りをかき立てるのだった。こういうわけで、ハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。

1:8 夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ、なぜ泣いているのか。どうして食べないのか。どうして、あなたの心は苦しんでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないか。」

1:9 シロでの飲食が終わった後、ハンナは立ち上がった。ちょうどそのとき、祭司エリは【主】の神殿の門柱のそばで、椅子に座っていた。

1:10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、【主】に祈った。

1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、【主】にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」

1:12 ハンナが【主】の前で長く祈っている間、エリは彼女の口もとをじっと見ていた。

1:13 ハンナは心で祈っていたので、唇だけが動いて、声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのだと思った。

1:14 エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

1:15 ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は【主】の前に心を注ぎ出していたのです。

1:16 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」

1:17 エリは答えた。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」

1:18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意を受けられますように」と言った。それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。

 

1:19 彼らは翌朝早く起きて、【主】の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家に帰って来た。エルカナは妻ハンナを知った。【主】は彼女を心に留められた。

 本日から、第一サムエル記のみことばを連続で取り次いでまいります。神様はエジプトの奴隷となっていたイスラエルの民を救い出し(出エジプト記)、約束の地に導かれました(ヨシュア記)。しかし、約束の地に定住することになった彼らは、罪に陥って真の神様を忘れ、各々好き勝手に生きるようになりました(士師記)。Ⅰサムエル記は、士師記の続き(士師記2126)から始まっています。この時代のイスラエルの人々の信仰は最悪の状態でしたが、神様は、この罪にまみれた時代の中で働かれました。まずサムエルを選び、サムエルがダビデを王にたて、ダビデの子孫からイエス・キリストを誕生するようにされたのです。神様は人間が最も堕落している時に、罪人が救われるご計画を立てて下さったということが、Ⅰサムエル記を読むとよくわかります。Ⅰサムエル記は、罪人を決して見捨てない神様の哀れみで溢れています。今日の登場人物ハンナも、神様から哀れみを受けました。

 さて、当時のイスラエルでは一夫多妻制が認められていました。但し旧約聖書には、一夫多妻制により家族が悲しい思いをするという話がたくさんあり、ハンナもその一人でした。彼女には二つの悲しみがありました。第一は子どもがいなかったこと、第二はペニンナのいやがらせでした。夫のエルカナは彼女に対し、当時愛を伝えるための常套句で慰めたのですが(8)、ハンナの心には響かなかったようです。ハンナは神殿に祈りに行きました(910)。16,17節を見ると、彼女が憂いと苛立ちをこもった祈りをしていたことがわかります。ペニンナへの憎しみや恨みの言葉が、祈りの中にあったかもしれません。私たちは ハンナの祈りから、美しい言葉で紡がれた祈りではなくても、神様は私たちの深い悲しみを聞いて下さる、ということがわかります。皆さんにはずっと悩み、苦しんでいたのに神様に祈っていなかったことがないでしょうか。無意識のうちに神様に絶望している祈祷課題がないでしょうか。ぜひハンナに倣って、それを祈ってみましょう。

 ハンナは11節の誓い通り、幼いサムエルを祭司に預けました。ある私の大好きな牧師が「祈りは私たちの心を、神様のみこころに近づけるためにある」と言いました。ハンナは自分の悲しみや苦しみを祈り続けることによって、自分自身が変えられていきました(18)。子どもがほしいと思っていた彼女が、子どもをささげる決意を祈りの中でしましたし、ペニンナのいやがらせや孤独を恐れる者から、勇気をもって家族のもとへ帰る者に変えられました。何より、悲しみや苦しみから解放されてその顔はもはや以前のようではなかったと書かれています。ハンナの祈りから、神様はどんな祈りでも聞いて下さること、そして祈りは、私たち自身を変えることを教えられます。

 Ⅰサムエル記には、ダビデとゴリヤテの話とか、ダビデとヨナタンの友情の話、ダビデのサウルからの逃走劇など、読む者の心を躍らせる壮大な物語があります。しかしその始まりは、悲しみと孤独を抱えた一人の女性の祈りでした。神様は彼女の祈りを聞かれました。悲しみと怒りに満ちた、とても美しいとは言えない祈りでしたが、神様は祈るハンナの心を導いて、その子サムエルを神様にささげることで神様の計画を進められました。今まで絶望のあまり祈ることがなかった課題を、ぜひ神様の前に打ち明けましょう。神様は必ず聞いて下さいます。そしてその祈りを通して、神様はご計画を前進させて下さるのです(ヨハネ1624)。今日はハンナの祈りを通して、祈りの力を教えられました。

 「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています(ロマ82628)」。

 

 天の父なる神様、御名を崇め讃美いたします。自分の深い部分にある悲しみ、苦しみを打ち明けることは勇気がいる時があります。しかし神様は、どんな罪人の祈りも聞いて下さるお方であることをありがとうございます。哀れみ深い主に期待し、今週もハンナのように心を注ぎ出して祈ることができますように助けて下さい。(2020年7月12日礼拝 武田遣嗣牧師)